ポエム
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僕が僕である証
 「わたし、マイクのお嫁さんになるのよ~っ」と、回る回る。クルクル回る―それは僕の胸の中に住まう女の子なのだけど、彼女はとにかくいつも回っている。そしていつもその言葉―「わたし、マイクのお嫁さんになるのよ~っ」―を繰り返している。マイクというのはMLBのシアトルマリナーズでプレーしているマイク・ジョーンズのことで、彼は野球選手の中でもマッチョなアングロサクソンなのだけど、僕はそんな男と彼女が結婚する図を想像するだけでなんだかクラクラしてしまう。
 
 でも考えてみれば、彼女をこの胸に住まわせたのは他でもないこの僕だ。誰に強制されたわけでもない。でも正直を言えば僕は、彼女を"住まわせた"という自覚はまったくなかったりする。彼女は気づかないうちに胸に住まっていて、そうして気づけば、決して止めることのできない自律的な舞踏と発声を延々と繰り返すようになっていたのだった。でもまた正直を言えばそうして、彼女の方向性父親のよに見守ってる。夢があっていいね。"ありがとう"―とやはり、その瞳上目遣いで煌めかせて―キラキラ、お魚さんのように無邪気だね実際、考えてみれば僕の胸の中ってなんだか水槽みたいだよ。でもマイクと結婚するんだったらいつかは、父さんの胸の中から出て行かなくちゃならないね?―
 
 もはや2人で1人、ってな状況ながらそれでもそうして彼女を、遥かなる海や空へと解き放ってやりたいって気持ちもたしかにあって、たとえば演劇的に「こんな狭い場所の中で可愛いそうだね」ってその頬をすりすりしてあげたいきもちなんかがないわけじゃないけれどあくまで、彼女のその、仄かに哀しみ讃えながらそれでもしかと上を向いて笑ってくれる、その白い歯のたくましさ「よし!」って意を決して信頼して、そうしてその瞳眼差す先のたおやかな広がり信じたいって希うんだ。風。彼女に風を、あげたくて。
 
 束の間の小休止。湖面のように静まり返ったその時間に、君は左斜め上(向かって右斜め上)を見つめてる。いつしか遠い飛行機の音が背景になっていた。飛行機はたしかに遠くって、その音はその仄かさで君の憧れを掬い、空へと乗せるようで。そうして僕は西海岸らしき晴れやかな場所で君が、英語で表記された方向案内の標識の前でにこやかに振り返り、ザ・アジア人な華奢な二の腕白いシャツからスラリと伸ばして背負ったリュックのその、薄緑の和やかなトーンに想いを馳せる。なんだか不思議だ。遠くにいる君を想像しただけなのに、なんだか本当に遠くに行ってしまったようで。いや待て、そもそもからして想像の産物じゃないかと笑うと、陽射しのなか、晴れやかな君の笑顔はかえって物哀しく見えた。
 
 その日から、僕の胸の中の彼女はバックパッカーへとその姿を変えた。口を開けば「わたし、マイクに会いに行くの」と言うけれど、こちらが聞いてもいないのに勝手に喋り出すことはなくなっていた。彼女の無邪気さは影を潜め、その代わりのようにどこか物憂げになっていた。彼女は大人になったのだ。まるで、水の精から風の精に変わったみたいでもあるよなと、僕は静かに笑う。道路標識の前。噴水のある広場のベンチ。あるいは仄暗い路地。彼女はさまざまな場所に行き、そしてたそがれていた。どこにいようとも、肩にかかった亜麻色の髪は懐かしいやさしさで風と戯れていて、その様はこの胸を狂おしいまでの高揚で満たすのだった―君が、欲しい。本当に遠くへ行ってしまったような君を、それでももう一度、この胸の僕に一番近い部分へと、呼び戻せたら……
 
 寄せては返す、さざ波のよで、それでいながら掴めない君。瞼の裏に残るのはいつも、煌めく粒子越しの透き通った君で。透き通りすぎた君で。

 「わたし、マイクに会いに行くの」と変わることなく君は言う。静かな力強さで君は言う。あの日と同じように、君は空を見つめてる。切なくも甘やかなその曲線の上に、君が託しているキモチを知りたい― 
24/05/08 19:49更新 / はちみつ



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■作者メッセージ
お久しぶりです。溶接の訓練始まりました(汗)

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