ポエム
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1万ヘクトパスカルの実存
この世界は雑然としすぎている。うっすらと澄んだ孤独を、抱くようにして生きたいのに、世間はそれを許してくれない。たとえばね。私は朝から庭に憩いたいの。ただゆったりと青い空を見て、どうして空はこんなにも青いんだろうなって、そうため息を、やさしいため息よ?、をつきながら、生きてきた日々をそれとなく想い返したり、したいの。

そうかい。僕はむしろ逆を思うなぁ。朝はなんやかやで、ともかく慌ただしくしなくちゃならない。それこそが気持ちをシャンとさせてくれる。今日も1日生きてやるぞって、元気が胸に漲ってくる。

生きることは生きることでも、それは無理やり強いられた生きることよ!わたし思うの。自分の中にある羅針盤だけを頼りに、歩いていきたいって。そうして切実な、私にとって切実な孤独の方角だけをこの目で見据えて、生きていきたいって。

倦怠こそが物思いの母であり、そして孤独の母でもあるーそう、僕は思うな。ねえ、君はただ、現実ってやつから逃げたいだけなんじゃないのかい?

またカッコつけたこと言っちゃって。そんなことを思うのは、それこそ無理やり歩かされてるってことに無自覚だからじゃなくって?ねえ、家族でドイツに旅行にいったときのこと、覚えてるでしょう?私、あの庭のような公園の真ん中にいる時、あっ、私いま、たしかに生きてるんだって、そんな鮮烈な感覚に、ブワーッてこの身を包まれるのを感じたの。瀟洒な家々が彼方まで整然と続いているのが仄見え、そんな家々のベランダには様々な花が咲き乱れている。みながみな、生きてる。そしてこの切り取られた庭のような空間にポツンと立っている私は、ポツンと立っているんだけど、いやポツンと立っているからこそ、このいまたしかに生きてるんだって。あの1万ヘクトパスカルの実存、絶対に否定させはしないんだからっ!





認識ではなくその意志において、彼女は誤っていた。彼女は偶有的にもたらされることにその本質があるだろう、恩寵のような孤独を、自らの主体的な意志において掴み取れると思っていたのだ―

…と総括したところで、そうして自分の在り方を肯定してみたところで、僕はしかし、あの冬の日曜の昼下がりの、優しい陽光に彩られていた彼女のあの、あの言葉たちから汲み取るべき含意を、なにか捉え損なっているような気がする。

それにしても、あのうららかな陽光は、すべては瞬く間に去りゆくことを知っていたのだ。自身が去ることを、そして訪れる凍える大気に、彼女の、あの湿った頬が擦れてしまうことを。このいま振り返れば、ただその事実の重みに打たれるばかりで。

ただ彼女だけが知らなかったのだ。ただ彼女の無垢だけが、その無垢だけが、過去の日々を、幼き日のドイツの公園での孤独を、昼下がりの甘いため息のようでもあった彼女の嘆きを、麗しくも愛らしい永遠にしていたのだ。


そうして僕は、ふっと思ったのだった。小説か詩かエッセイか、あるいは雑記のようなものか、それは分からないけれど、ともかく書いてみよう。彼女について、書いてみよう。

この胸の中の羅針盤の針が、和やかな海風に揺れている…まるで、そんな気がした。やがて定まるだろうその方角へと、僕はゆっくりと呼吸を整え始めていた。
23/08/20 15:11更新 / はちみつ



談話室

■作者メッセージ
お久しぶりです。しばらく詩作を辞めた後、腰を上げ、今度は違う場所でと、B Reviewに投稿してましたが、なかなか上手く行かず、ここが懐かしくなり戻ってきました。これからは二足わらじで行こうと思います。あらためましてよろしくです。

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