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健全な傲慢さ
人は変わっていく

この命題を、どれだけの人が
真に我が事として引き受けているのだろう?

20歳の僕と20歳の友との違いより
20歳の僕と36歳の僕の違いの方が
もしかすると大きいのかもしれない

今の僕と昔の僕を引き合せても
"僕ら"は少なくとも
僕と同い年の友のようには
けして親しくはならないだろう…

そんな考えが浮かんだとき
僕は驚くとともに
不思議と胸が朗らかになるのを感じた

いまにして思えば、自分ってやつが
いくばくか軽くなったからだろう

僕らはいつの間にか変わっている
いつの間にか変わってしまう
この命題は怖ろしいだろうか?

僕はそうは思わない

自分ってやつを人の前に表す限り
それは必ず彼/女に届く
そしてその記憶に刻まれ得る

たとえその記憶が時を経て
尾ひれが付いたり色褪せたりしても
それはたしかに、この(そのときどきの)
僕から始まった、ほかでもない「出来事」としてそこにある


と、あくまで自分を起点にしてしまう
そんな自分に苦笑するしかないのだけど
それはあるいは「健全な傲慢さ」なのかもしれなくて

所詮、人は自分中心の世界観から
逃れることはできはしない

だったら賢しく傍観者ぶるよりも
そんな自分をまっすぐ見据えるのが
「徳」ってやつではないでしょうか?

自意識の周りを太陽のように
天動説の太陽のように
世界も彼/女も動いてゆく

そんな彼/女の瞳に映っている
その事実が 変わった/変わってない
その二項対立を無効化してくれる

自分が変わっていようとなかろうと
彼/女にしかと映っている自分は
どちらにしろ大切な自分に違いなく
確定する必要がそもそもない

彼/女に対して現れている―
そのことの誇らしさだけで
アイデンティティは完結で

そうして幾万もの断片を
彼/女たちの胸へと託して
僕はこの世界から去るでしょう

託すことに意味があるのか―
そんな問いは野暮というもの

23/05/29 19:45更新 / はちみつ



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