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大人たちに敷かれたレール

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今回のはちみつさんのポエムも、何回か繰り返し読ませていただきました。

そして私が思ったことです。

私たちは確かに、親の敷いたレールの上を歩いて、その途中で出会う様々な人たちの影響も受けながら、人間として形成されて行くものかも知れませんね。

そして幼い頃には、そのレールから外れて自分の歩きたい場所を歩きたくても、それが決して許されないような、そんな暗黙のルールのようなものに縛られて、そのまま黙々と前に進むしかなかったような気がします。

親は選べないと昔からよく言います。
個人的にそれは本当にそのとおりだと思うのです。

でも、その観念に囚われていては、人はいつまでも自分を確立できないような気もするんですよね。

そんな思いに気づけた時が、自我の目覚めだったのかなぁと、はちみつさんのこのポエムを読んでしみじみと思いました。
 志月 23/06/08 17:45 評価:とても良かった!
ホスト名 flh2-119-243-101-96.tky.mesh.ad.jp
何回も読んでいただいたとは!…いやはや光栄というか、恐縮というか(汗)

いずれにせよ、そんな読者が1人でもいてくださる手前、いい加減なことは書けませんね(笑)


一方では、僕たちは幼い頃ら色々なことを強制されて自身を形成していくしかない。

しかし他方で、志月さんの言われるように、自我というものを確立するためには、敷かれたレールを疑ってみる必要もある。

ただその際に、極端に走ってしまい、たとえば"すへては大人の都合でいいように作られた「だけ」"などと捉えてしまうと、むしろ逆に自我は溶解しかねないんじゃないかと思うのです。

純粋に自分自身から生まれた成分からのみ成る自我などないわけで、その意味では、自らのなかにある他人の刻印(なんだか違和感のある、与えられた感のある自分の属性)を、自分のものとして引き受け直す―ときにはそんなことすら必要になるのかもしれない…

抽象的になってしまいましたが、志月さんが「自我」という概念を提示していただいたおかげで、またひとつ思索を深めることができた気がします!
 はちみつ 23/06/08 18:53
ホスト名 host-103-26-154-36.mctv.ne.jp

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