夏の夢
(初めにメッセージ欄をお読みください汗)
1.
"エメラルドグリーンの魚を見たの"、"見たったら、見たんだからっ!"と彼女は譲らなかった。湖面が風に、仄かに揺れる情景を見ながら僕は通学路を歩いていた。この、と僕は空を見上げるー"このありふれた青で、十分なんだけどな…"
「と、いうわけさっ」とN先生。長ったらしい前髪を左に流すや「聞いてた!?」と視線が一閃されたように飛んできたー「はっ、はいっ。聞いてました!」「ホント?そりゃ良かった」
それは事実で、いつしか引き込まれていた幻想の気配に脳は逆にクリアになって、どこでもないどこかを見ながら巨大なホラ貝の貝殻の中で響き入ってくる声を聞いていた。
なんだかな。
一番左端の特権を生かしまた、空を見上げると雲がモクモクと迎えてくれた。いつの間にこんなに増えていたんだろとじんとなって。
気づけばうっすらとした緑に包まれていた。密林にはやさしい光が降り注いでいた。チャポっ、チャポっと魚が跳ねていたけれど、エメラルドの魚ではなかった。でもそんなありふれた貧しさが愛おしかった。
…と僕の文章は正確じゃない。正確には気づけばもう水彩のよな、薄緑を纏った彼女は慈愛に満ちた微笑で僕を、ほんのわずかに見下ろしていたんだ。僕のが高くてけっこう身長差、あるのに可笑しいな。
それこそあたかも幻想であったかのように視点は、彼女と自分をともに捉える遠距離になり、彼女はシースルーの衣服を纏っていた。もちろん(?)胸はしかと覆われていた。控えめなそれに僕はなぜだかいつも、ほんのりとした物哀しさを抱くのが常だったのだけど、それはともかく僕は彼女が湖に足を、その小さな右足を踏み入れる夢を見ていた。
だけど彼女はまるで水を怖れてるかのように頑なに、水一滴すらその身に浴びようとはしない。僕はといえば野暮ったく、捕れるわけないのに左手で魚を捕る仕草をほとんど本能のよに繰り返してたからホント対照的で、その瞳が所在なさげに揺れ出すのを見て初めて僕は、彼女が居心地の悪さを感じてることに思い至った。
「ホラ、いない。そう言いたいんでしょ?」
「いやいや、そんなことないさ」
「でももう、何十回も空振りならぬ、水振り(?)してるね?」
「それ言うかな(笑)」
「ねぇわたしケーキが嫌いなの」
「僕は大好きだけどな。ホント、大好きだよ」
「なんだかいやらしい感じ(笑)」
「またまた、思わせぶりな(苦笑)」
「最初に思わせぶりしたの、あなたでしょ?」
「とことん理屈を追う子だね君は(笑)」
「わたし、リケジョになりたいんだ」
「いつか、言ってたよね」
「それでね、青い魚や、そしてエメラルドの魚について、この亜麻色の瞳を秋口のよに澄ませながらに研究するの」
「とりあえず看板娘、になっちゃってから考えたら、どうかな…」
「あなたが見たいだけだったりして(笑)」
「あっ、バレてる?」
「冗談よ。半分ほどの、ね」
右端を見やる。純白のページに、フリクションの青が小さく波打っているのが見える。そこに落とされたひたむきな視線。でもそこにあるのは亜麻色ではなく黒い光で"アイツの目の色、あんなに黒かったっけ?"と、おそらくは光の加減もあってより鈍く見えていたろうその色合いを、得も言えぬじれったさを感じながらに反芻していた。
2.
「ただいま~っ」、そう威勢のいいくらいの声量で言ったにもかかわらず、返事はない。ゾッとするくらいに空虚なものが流れ込んできそうで口を閉じる。 「ちぇっ…」と舌打ちしてしまっていたー「ちぇっ!」と今度はそんな自分にーガララ…
「あっ、ばあちゃんただいま!」
「おぅあきちゃん、おかえりなさい」との"なさい"に込められていたしとやかさを思うや火を吹くように舌打ちを恥じた。
「返事がなかったから、やっぱりじいちゃんを拝んでるのかなって、そう思って」
「なんか、ごめんなぁ」
そう言いつつも視線を逸らしては去っていくその背を、年相応に丸い優しげな撫で肩の背中の遠のきを見つめる。なんだか蚊、の気配のようなものを感じてまた申し訳なくなる。
水の音ー祖母は台所に行ったらしかった。トントン、トンと音がして、桃を切ってくれてるのかも?と前のめり。でも蚊、の気配は尾を引いてて、モワ~っと蚊取り線香の煙が祖母の後ろ姿を包んでいる情景を見て、はて桃に臭いが染み付きはしないかしら?とイケてる姉ちゃんになったかのように。
自分の部屋に行くと畳の、古臭くも温かい匂いに包まれた。自分が柔道の授業でつねにきまって、相手を転ばせる直前に力を緩めるよになったのはいつだったろう?
170cmの60kg。"こんなものっ!"ーいやでもついてしまう腕の筋肉をグリグリしていた。キラキラと輝いてるのはTOKYOそれ自体のようだった。汗と肉塊は地べたを這いずり回り、ハイヒールと雌豹の腰つきは星々の海を泳いでいた—「チッ!」と3回目の舌打ちをどこか演じるよに発した折り、トントンとドアノックの音が聞こえた。
「あきちゃん、スイカはどうぉ?」
「へ~え、スイカやったんか(笑)」
「なんやと思とったん」
「プリプリの桃ちゃんやって思とったん」
「そらぁ残念やったねぇ」
「やっぱり、種いっぱい?」
「そらあね」ー
3.
てくてくてく…と僕はその休日に、愛果姉さんのいる喫茶店へと歩いていった。そうまさに自分は"てくてくと"歩いてるよに思ったのだけどそれは愛果"姉さん"のあの、夢見るように優雅なしとやかさが僕(たち)をさながら類人猿であるかのように浮かび上がらせるからだった。
ニタ~っとしてしまうなんだか。それは、粗野な種族があまりにも高貴な女(ひと)に半ば"突っかかって"いくことのSな悦びなんだと遅れて。
小道の向こうにはたとえようもなく甘美な曲線が仄揺れていた。それは水平線で、右側に連なる愛を約束する木々の緑たちすらも今では、流れ来たる夏風を送る果てのない〈夏〉の、そのささやかで取るに足らない要素の一つに過ぎなかった。
カチャリ…、微細に開いたドアをそのままに止めておきたくなるよな音だ。山間の片隅に海の気配はあまりに遠くて、淡い水色が一瞬の合間に結晶になるよな心地を抱きながら、右手に加える力をやはり柔らかなものにとどめ続けてはいたのだけど、カランカランカラーン!ー生活感に満ち溢れたベルの音をとどめることはできなかった。
「あーっ、こんにちわ~!」と愛果さん。そのエプロン姿に庶民的だなと今気づいたよに思う。
「この一カ月、どやった?どやったぁ?」といつになく積極的な愛果さん。
「色々なことがありました」
「うふふ色々、あったんや」とスーッと引き波に移ろったような波を見つめたくなってー
「えっ!?何?」
「あっ、いや…ごめんなさい」
「あっ、うん、大丈夫やよ。でも顔になんか付いとるんかと思った(笑)」
それこそ煌めく波の泡のように僕たちは弾け合っていて、そうして気づけばー瞬の静寂にーベルが鳴らされた折りから約束されていたろうその瞬間にー包まれた2人の呼吸はピタリと合っていた。
「あの…」
「うんっ」
「フーっ」
「うふふっ…いいよ。ゆっくり、ゆっくりな」
「ホント、どうもです」
彼女は2,3回ゆるやかに頷く。その度に、茶色がかった瞳に乗った切なげな黒はこの胸に夢を…
"あなたが欲しいです"なんて、言えなかった。もちろん僕はリケジョになりたい女の子(美悠)も欲しかった。そのことについて話したのだけど、その"も"を見透かされやしないかと内心ではバクバクだった。
「あれっ?でも晶生くんは東京に行って、モデルさんみたいな女の子と付き合うのが夢なんじゃなかったっけ?」ー身体全体が稲妻になってしまうんじゃないかと思った。二股どころか三股だいや、そもそも現状まともに相手にしてくれてる相手などいない痛すぎる(!)
…なんていうのはちょっとばかり、無意識のうちに再構成を施していた振り返ってのお話で、現実というかその折りには僕は、焦点がずらされたことでホッとした気持ちが大きかったのだ。と思う。
4.
並木道を通り抜けると雪の気配が訪れた。ショーケースがキラリと光っていて、ショートケーキの上のイチゴにウサギが浮かんだケーキの上に、ちょこんと小さく瞳の赤いウサギが座った。
おそらくは美悠は家にいるはずだった期待は、にもかかわらず瀟洒な店内を泳ぎ飛んでは哀しみを誘うミツバチとなってモンブランの栗に止まった、、
喫茶店のものよりもスマートな金色の取手を引くと、ベルの音はない。のっぺりとした静寂が店内に波紋のように広がるままに棒切れのよに突っ立っていると"ピッ!"と射し込むものがあって、それは小柄でややふっくらとした女の子(とは言っても僕よりかは歳上だろう)のじっとりとした眼差しなのだったー瞬間自分が愛果さんに成り変わったかのよな錯覚を覚えた"顔に何か付いてますか?"、
「いらっしゃいませ」と女優さんみたいな美しい作り笑顔だった。
「ここは初めてでしたか?」
「あっ、そ、そうなんです」
「ウフフ」
「えっ!?」
「あっ、いや、ごめんなさい。夏のケーキも揃ってるので、よろしければ」
下がっていく彼女の逞しい背を見つめながら呆気にとられていた。もうミツバチはいない。頭がグルグルしていた、美悠の纏うそこはかとない物哀しさとこの店にはなんの接点もないよな気がした。
"黒い森のチョコレートケーキ、黒い森のチョコレートケーキ"とぶつぶつ呟いては、思い切ったようにやはりチョコレートケーキを買おうとするとレジの女性はさっきの子と体型だけ似た別人で、むっつりと無愛想だったから僕は泣きそうになってしまった。
外に出ると陽射しがキラキラとしていて、そして暑かった。ま、フツーならシャインマスカットケーキとかメロンのケーキを買うところだよなと笑う。しかもそんな黒ないしとまたまたの笑いだった。
破れかぶれってこういうことかなぁ。ホントは僕はやっぱり美悠と、切り株に腰かけ並んでは何かを、それこそ"うーうー"みたいな意味をなさない声たちをひとえに、葉擦れをBGMに抱き合っていきたいのかなぁ。
1週間後に行くなんてホント久しぶりだなと思いながら、僕は喫茶店へと向かって足を速めた。もちろん、あなたが好きだと思ってたけどやっぱり美悠が好きでしたなんて言わない。だからこれは相変わらずの、ホントに勝手な一人芝居。
"そうやったんやね"と、愛果さんがしかと頷いた。白磁のよな右手指でそっと、深い右目をやさしく拭った。その"そっと"の合間に、一粒の星が流れた気がした。
25/10/23 19:41更新 / はちみつ