生成をキーワードにして
なかなか難しい。自分では正直、なかなかに「複雑なゲーム」をしたつもり。掌編という形で、絵画的かつ音楽的な印象をももたらすことができた(だろう)という意味で。もっと言えば、ストーリー、イメージ、リズムが一体となったシンフォニーだと思った(笑)し、現段階で出せるものはすべて出したと、そこまで思った。
でもBーREVIEWにも投稿したんだけど、ほとんど評価されなかった。たぶんだけど、やっぱり詩は小説は、絵画でも音楽でもないってことなんだろう。僕のこだわってるディテールが、隅々まで調律してるつもりの繊細な(笑)細部が、もうまったく伝わってない感じ。理解されてないとか言いたいんじゃなくて、理解はされつつもしかし、必然的なディテールとは思われてないんだと思う。
これからどうしようか。でもやっぱり僕は、詩にはある種の完璧さを求めたい。それこそ絵画や音楽のように。しいて言えば僕の作品は、構造が透けて見えるところが、いかにも肩肘張ってる感じに見られてるのかもしれないな。
流れるような詩を。もっと言えば、濁流のような。とにかく連鎖し続けていく、怒濤の小説のような詩を書いてみたい。もちろん自然に流さなきゃいけない。それは難しいけれど、言葉がダダッと流れるときの悦びは、ホント何物にも代え難いし、挑戦しがいがある。
だから今回でトップダウン的な?、ピチッと制御しようとするタイプの作品はおしまいにしたい。「冬の夢」や「金閣寺」と、たとえば莫言の「豊乳肥臀」とでは、受ける印象はもうまったく違う。ボトムアップと言っていいかは分からないけれど、とにかく自由に書かなきゃ活路は生まれない気がして。ただし、(比較的)散文的な自由。固有の鋭い感性はないしそこで勝負はできない。でも関係性は、きっと無限。生成をキーワードにして。
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