ポエム
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父の書斎
 
 入部した部で一緒になったというだけなのだけど、それは夢が空から降ってきたに等しかった。そして半信半疑で目を見開く度、彼女は夢のその美しさに打たれることになった。
 
 「おい、〇〇、聞いてるか?」「あっ、ごめんなさいっ…」瞬間、走馬灯のように彼の幻覚を見る。彼女を見つめるあの瞳のーアーモンド型の切れ長の、茶色がかった瞳のー視線は万華鏡のように、あまたの角度から彼女の瞳を次々と浸していった。我に帰って、ノートに静かに目を落とす。教室後ろの左端。特等席で触れる、吹き込んで来るそよ風からはどうしてだか、季節外れの桃の香りがするのだった。
 
 「そんなことがあったんだ」いつものように、長い脚を彼女の歩調に合わせながら彼は言った。なんだか目眩がするようだった。ただでさえ、彼の動きは時間が引き延ばされたかのような感覚をもたらす上に、たとえば夏へと季節が巻き戻るーそんなことだってあり得るのかもしれない…そう思いながら、彼女は得も言えぬフワフワした心地になっていた。
 
 唐突に、ハトが大好きなんだと彼は言う。そうしてそれとなく空を、鰯雲が綺麗な青空を見る。そこには何か、重大な秘密をたったいま打ち明けたのだとでもいうようなトーンがあって、思わず彼女は笑ってしまう。「わたしも好きよ、クルルルル♪」ーと、いきなりのキス。ただし、ホッペへの。「びっくりした~と晴れやかに笑ってみせる。「あんまり可愛いものだから」ー「君は桃色の頬をしている」
 
 夜。夢はすべてを曖昧にしていくようだった。たしかに私は鰯雲を見た。そこには"いまは秋です"と書かれていた。だけれど風は、この星のすべてに吹き渡る。だとしたら、季節を横断するそよ風があったっていいじゃないか。風の神さま女神さま。彼女のちょっとした悪戯が、過ぎ去りし季節からの桃の香りを運んでくれたのだ…

 世界は変わり得るという不可思議が、桃色の頬の少女を包んでいた。夜の夢のなかで彼女は、背に生えた彼とお揃いの青い翼で、入道雲のさなかをともに天翔たのだった。



☆★



 「風邪の時はねぇ、みかんをたあっぷり食べることよお」と、おばあちゃん。この町にはめずらしく、外には雪が降り積もっていた。おばあちゃんが出て行ってしばらくすると、相変わらずのおじいちゃんの声が響いてきた。「やかましいのぅ」「わいはな、わいはな」と一呼吸置く。それは勿体ぶるためだったー「未来のノーベル賞作家ど!」

 ガガガガガ…と、タイヤの音。スタッドレスタイヤと雪の擦れるザラついた響きはカッコいいと、ふと思う。大ホラ吹きの反面教師のお陰で、日常というものの持つささやかなニュアンスへと開かれたか。それがたしかに日々というものに、ひいては彼女自身に所属していることがうれしかった。

 「〇〇、〇〇の好きなバターサンドを買ってきたよ」「ありがとう。私ね、バターサンドの仄かに香るお酒の匂いが大好きなの」と言い終わるや、自分が赤面していやしないかと不安になる。"香る"、"仄かに"、"大好き"…急に足元がソワソワしてきた。あたかも父へとしなだれかかるようなトーンだったな…でも、ありえないと、彼女は自分に言い聞かせた。それは当然予想され得る発言であり、父へのー仄かな?ー好意(の現れ)云々は、そんな"たまたま"語られてしまった発言から事後的に生成された、ただの陳腐なフィクションにすぎない。

 みかんは思った以上に甘ったるかった。ガガガガガ…と、今度は車の出ていく音。おばあちゃんが、無理やりおじいちゃんを連れて行ったのだろうとぼんやりと思う。昔母が毎朝のように切ってくれたグレープフルーツが、このいま無性に恋しい。気づけば物音一つしていない。もちろん、父は書斎にいる。それにしても、どうして父の書斎というのは厳しいのだろう?ザワザワとした硬質な何かが、胸をたしかに浸していくのを感じていた。

24/11/09 09:25更新 / はちみつ



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