Namidairo
https://www.youtube.com/watch?v=_s3l05W2NeM
♪なみだいろ 声が聞こえない夜は
困らせてしまうほど
わがままになりたい
だいじょうぶ そう言ってみたけど
そんなはずないでしょ…♪
いいね、YUI。「Namidairo」って曲名が分からなくって、Googleマイクの前で歌って検索(笑)86%の一致ーうん、歌唱力はまあまあかな?なんて冗談はさておき、この曲を聴いてた当時僕は20か21かで、ポテチにコーラを友に一人ぼっちで北大路ビブレ(今もあるのだろうか?)の椅子に座っては物思いにふける退廃の昼下がりを、毎日のように過ごしていたっけ。
だのに奇妙に楽観的で、毎日"明日になれば何かいいこと起こるんじゃないか"ってワクワクしながら過ごしていた。でもあくまでコーラは倦怠感とともに流し込むと決めてるみたいな、なんだったんだろう、あの映画の主役を生きてるみたいな自信は…
何をするわけでもなく、ただ夢を食むように生きてたあの日々。目に映る風物がなんとなく愛らしいだとか、街頭で流れる曲がほんのりと哀しいだとか、たとえばそんな諸々を繋いで、「明日」を連想の鎖を委ねる幸福な余白にするように。
今日という日に、自分に何が起こって何が起こらなかったのか。仄暗いアパートで意味と無意味の腑分けをしていると、静寂のさなか自我がカミソリみたいにキラリと光り。
女の子(彼女)の いる/いない に対峙して、「いない」が「いる」に変わる刹那の激震へと息を整えながら、予兆を踏み慣らすように明日を行こうと誓ったあの夜に、リフレインしていた Namidairo 。
孤独のさなかの祈りにも似た希求と、"困らせてしまうほど わがままになりたい"なんてベッタリとした歌詞とは相容れないようにも思うけれど、どんなに神聖に見える恋の始まりも、やがてはぬるま湯のようなありふれた幸せに変わるだろうことを、あの夜の僕とて知っていたはずだ。
そしてまた僕は、きっと知っていたのだと思う。たとえ瞬く間に過ぎ去ってしまうのだとしても、旅の途上に綺羅星のようにもたらされた光は、決して消え去ることなく胸の奥深くへと沈んで、淡く切ない星となることを。
美しくて温かくって、ほんのりと哀しいーあの夜の僕は、ひとえにそんな星が欲しかったのだろう。
たとえば物語のラストで若かりし日を振り返る、そんな細められた眼差しに捉えられるようにして、あどけないYUIの声色は、淡い淡い色彩ーなみだいろーとなって揺蕩っていた。