その二

 「そうだね。まあ、仕事とはそういうもの
だし。それに、家族といっしょに住むという
のもいいことだし。」
 透は快くそれに同意した。そして、それ以
上は何も言わなかった。それで十分だった。
偽りの言葉と言うのは、ひどくあっさりと口
にできるものだが、それを共有できる人に巡
り合えるのは稀なことだったから、そういう
関係は大切にしないといけない。それに、分
かっていることを確かめ合うというのは野暮
というものだ。「ありがとう」、蝶も当然と
いう風にそれ以上は何も言わなかった。
 「それで、今日は、その時間まで大丈夫な
の。」
 透は、もう自分があまり言葉をしゃべりた
くなくなっているのを感じた。蝶の体を買っ
たのはそうするためではないのだ。早く、家
に戻り、昨日と同じように服を脱いだ彼女を
見たいと思った。そして、いつまでも彼女の
裸を見ていたいと思った。偏平なその体を、
かすかな丸みのみを持ったその身体を、温か
でぶよぶよした人間の女性の肌とは、それは
対照的なはずだ。その白い肌は滑らかで金属
的な、こちらをぞくぞくされるような肌触り
を持っているはずだ。安易に相手を愉しませ
ない、相手と交わらない、拒絶するような肌
触り。男性に媚びないということだ。早く帰
って、ずっと時間までそれを見ていたと思っ
た。昨日、tits.trip で見たショーと同じだ。
彼女が何もしないで、動かないで、そこにい
ればそれでいいのだ。
 彼女の豊かな髪がその額にかかった。飲み
物を飲もうとしたときにかすかに揺れた前髪
がその額に、その平面の額に、柔らかな光を
集めている額にかかった。透はそれを注意し
て見た。額に瞳があるのを見たいと思ったの
だ。額の上に三角形に囲まれてた彼女のもう
一つの瞳が輝くのを見たいと思ったのだ。何
かの本で読んだことのある第三の瞳が彼女の
額に隠れてはいないかと思ったのだ。その横
顔を見ているうちに話は終わってしまい、も
う店を出るしかなくなってしまった。飲み物
を飲む横顔をもう一度確かめたいと彼は思っ
たが、蝶と目が会ってしまい、透はそれきり
にしてしまった。
 車に乗せてもらうとき、十分に頭の中を整
理していなかったため透はドアを開けて車に
乗り込むつもりが、心配していた通りに向こ
う側の道路にと転がり落ちていた。平面の上
の車なのだから、ちゃんと心の準備をしなく
てはいけないのに、平面の中に入るのだから、
そう思わなくてはいけないのに、透はそれを
怠ってしまったのだ。
 透の経験不足と言ってしまえばそれまでだ
が、蝶へと気持ちがいっていたために慌てて
しまったのだ。ハンドルの前でにこにこして
いる蝶の横に憮然とした表情で透は乗り込ん
だ。緊張しているのを知られると恥ずかしい
と思いものな。そして、蝶にもその気持ちが
分かるようにして紙の車にと乗り込んだ。
 「私、舞っていうの。これからそう呼んで
ね。」
 嬉しそうに、彼女が言った。
 家に着き、彼女を部屋に入れながら、透は
蝶に比べると、自分の家はよくよく平凡な家
だなと思った。透は蝶の平面の中で生活して
いる姿を考えてみた。平面の扉から、幾何学
的な壁のある部屋に入って、壁の向こうにも
もう一つの同じような世界が重なっている世
界。でも、そこに彼は入れないだろう。その
温かな肉体ではだめなんだ。
 蝶は「失礼します」というと、落ち着いて

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