その一7


 止んでいた音楽が、また始まると、すぐに
彼女を連れ出しては他の人に悪いかなと透は
考えていた。新しい女性はそれを気に入るか、
気に入らないかは別にして、少しは見ていた
いものだ。知らない裸を少しは見ていたいも
のだ。そして、少しも変わらないことに気づ
いてがっかりしてしまうものなのだが。ゆっ
くりとその平らな身体を光が染めていき、そ
して、裸が完全に赤色に変わるのを見て、透
は席を立った。すぐ、店員と彼女の値段の話
を始めていた。話しながらその体を見ると、
それはやはりなめらかな曲線につつまれた平
面の体だった。前から見ると、普通に見える
美しい体なのだが、その体は薄く、紙みたい
なのだ。
 彼女の値段は一週間の給料と同じくらいも
したのに、不思議なことにそれが透には安く
感じられ、
 「何日間か、連れ出ししたいですか。」と
その金額を尋ねていた。貯金の額を思い浮か
べ、それがなくなる日数も計算してみたが、
「一週間にして下さい。」と答えていた。一
週間というのは自然が作り出した特別な時間
の単位だからだ。
 「明日、お金を持ってきます。」と店員の
顔を覗きこみながら、透がいうと男は黙って
うなずいた。祈るみたいな気分だったなと、
透はちょっとおかしくなった。
 「じゃあ、明日から一週間だよ。蝶ていう
んだ。いい女だろ。」
 少しもそう思っていない口調で店員は言っ
た。光のほうに目を向けると蝶は暗闇の中に
浮かぶ裸を男性に晒していた。かすかな丸み
を持つ彼女はやはりひどく薄っぺらだった。
「あの身体も他の女性みたいに温かいのだろ
うか」
 透は期待をこめて彼女を見た。
 次の日の火曜日、透は約束の時間に間に合
うようにAデパートの前に来た。空には、赤
いクレヨンで描かれた太陽が光っていた。拙
い線のその光線は放射線状に、その一本、一
本がその境界をぼやけさせながら、クルクル
と丸くなった太陽から伸びていた。
 何度、時計を見ても、約束の時間にならず
手持ちぶたさに歩き回っている時に、透は彼
女の服装を聞いていなかったのに気づいた。
昨晩、裸の彼女をちょっと見ただけなのには
たして分かるだろうかと心配になったが、あ
の体の印象があったし、その体の薄さからし
ても、まあ大丈夫だろうと思った。そして、
前髪を几帳面に指先でなぜた。
 もう一度、時計を見ると、今度は、約束の
時間まで後1分を差していた。きっと、彼女
が現れるまでその1分は進まないはずだ。現
れたときがちょうど約束の時間なのだ。行動
と時間が別々に進むという考えは不健全だっ
たし、行動と時間が別々に存在するなんてこ
とは有り得ないわけだし、時間というものは
そういう風にできているんだ。蝶が乗ってい
た車がもう少し大きな音を立てる型の車だっ
たら、透もそれと気づいただろうが、残りの
1分がはたしてどのくらいの長さだったのか、
透にもはっきりとないうちに 1分はたってし
まった。
 彼女の車は静かに、彼の前に止まっていた。
その車はあまりに薄すぎて、驚いてはいけな
い、それもまた紙でできていた。紙に描かれ
た平面の車だった。その中に、蝶がちゃんと
乗っているのだ。不思議なことだったが、そ
こに彼女がいるのだからそれを信用するしか
なかった。相手を確かめる必要は、蝶にも、
透にもなく、挨拶を済ませると、じゃ、内容
だけ、まず確認してしまいましょう
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