序章

ぼくは猫。
ぼくの名前…?あったけど…そんなの、忘れた。
だってそれは、ぼくにはいらないものだから。

飼い主さんとここに住みはじめて2年がたった。
元々のぼくのおうちに来た飼い主さんは、ぼくの他にもたくさんいる猫たちから、まよわずぼくを選んでくれたから、ぼくはとてもうれしくてたまらなかった。
だって、それまでおうちに来てくれた人みんな、ぼくの方には見向きもしなかったんだもん。

その日から、ぼくは飼い主さんといっしょに住みはじめたんだ。

ぼくの名前はちゃんとつけてもらったよ。
けれど、それを呼んでくれたのは、最初の一日だけ。

だってね。
飼い主さん、ぼくの名前を呼ぶと、すごくつらそうな顔するんだ……
今にもないちゃいそうな、そんなかおして名前を呼ばれても、全然うれしくないのは、君たちにもわかるでしょ?

…ぼく、飼い主さんのつらそうな顔なんて、もう見ていられなかったんだよ。

だから、お星さまに願ったの。

『ぼくの名前を呼んでくれなくてもいいから、どうか飼い主さんが辛くありませんように。』

って。

その次の日から、飼い主さんはぼくの名前を呼んでくれなくなった。
でも、いいんだ。

飼い主さんの、辛そうな顔を、見ることがなくなったから。

…え?
名前?ぼくじゃなくて、飼い主さんの?

ぼく…知らない。
飼い主さんはね、一人暮らししてるんだ。

だれかが飼い主さんの名前を呼ぶことはないんだ。だから…ぼくは飼い主さんの名前を知らない。




夜になって、飼い主さんが帰ってきた。
…え?飼い主さん飼い主さんってうるさいって?
もっと短くしろって…?

それぐらい我慢しててよ。
ぼくだって、この話をしたいと思ってしてるわけじゃないんだ。
それに、ぼくは飼い主さんを「飼い主さん」以外にどんな呼び方で呼べばいいか、わからないから……


話を戻すよ。

夜になって、飼い主さんが帰ってきた。
今日も部活が大変で、とても疲れたんだって。
飼い主さんは『スイソウガクブ』っていうのに入っていて、『フルート』っていう楽器を吹いているんだ。
ぼくには『スイソウガクブ』とか『フルート』とかの意味がわからないから、なにをしているのかはわからない。
けど、飼い主さんの話を聞いていて、とても楽しそうだなって思ったんだ。

いつだったかな…
フルートを見せてもらったことがあるんだ。
銀色で、キラキラしてて…
すごく、きれいだなって思った。
自分で買ったんだって。
学校のはボロボロだから、使いたくないって、飼い主さんが言ってた。

あともうひとつ、飼い主さんは楽器を持っているらしいんだけど…ぼくにはそれを見せてくれない。
たまに学校に持っていって吹いているらしいんだけど…ぼくも一回見てみたいな。

いつか…見せてくれるかな。



ぼくが昼寝してるときに学校から帰ってきた飼い主さんは、ささっと晩ごはんを作った。

飼い主さんは器用なんだ。
何でもささっと作っちゃうんだ。
ぼくのおもちゃだって。
なんだって。

お話だって、作っちゃうんだ。

ぼくは、たまに飼い主さんの書いたお話を読んでもらってるんだ。

とーっても、おもしろいんだ。

男の子が冒険する話とか
妖精のお話とか魔法の国のお話とか…
明るいお話、すこし暗いお話…
思わず笑っちゃうくらいおもしろいお話まで書いちゃうんだ。

前に読んでもらったものは、もう終わっちゃったっけ?

…他のお話も、聞きたいな。

ご飯を食べ終わった飼い主さんの膝の上に乗って、
くるっと回ったあと、飼い主さんの頭の上に登る。

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