自分のこと。
3つの心臓弁膜症と心房細動
お次の不幸は脳内出血
もう、ウンザリ
3月9日(日)
地方の中核病院へ救急搬送
激しい頭痛にのた打つと
4、5人掛かりの男女に
羽交い締めにされ 彼らは
「分かります、分かります…」と
呪文のような言葉を唱えながら
僕の四肢をベッドに縛り付け
その様は さながら
魔女狩り尋問での拷問のよう
「
amp;#12316;を描く」
「「
amp;#12316;を描く」を描く」
「「「
amp;#12316;を描く」を描く」を描く」
…
果てなく広がり続く
差延の波紋
曲率ゼロのニュートン世界の法則
仏教が教える因果応報
それらは同じものの別の側面=契機
醒めることない浅い眠り
無限に続く悪夢に苛まれ
逃れることのできない
感覚器と情動に囚われた
操り人形の無間地獄
3月15日(土)
だいぶ正気が戻ってくる
が、記憶が曖昧
「ココはドコ、ワタシはダレ?」
『NHK地球ラジオ』から
『THE BLUE HEARTS』の
『TRAIN-TRAIN』が流れてきた
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弱い者たちが 夕暮れ
さらに弱い者を 叩く
その音が 響き渡れば
BLUESは 加速してゆく
見えない自由が ほしくて
見えない銃を 撃ちまくる
本当の声を 聴かせておくれよ
ボクは これを
知っている
涙が出た
ポスト構造主義のデリダが放った
AはAでありAでない
という自己同一性への懐疑は
現代量子力学における
極性(濃淡、確率分布)的な考え方と
奇妙な共鳴を示す
(ちなみに構造主義では
人類vs個人をテーマに
結局 個人は人類に負けるとした
※人類と個人の関係性については
ユングのアイデアが興味深い)
ボーア-アインシュタイン論争で
ニールス・ボーアは言った
「おかしいのは
世界じゃなくて
僕らの思い込みと
決めつけの方なんだ!」
4月4日(月)
回復期のリハビリ施設へ転院
脳内出血箇所は左脳側
両目の右半分の視野を失ったが
左利きだったため
読み書き能力は無事だった模様
その他 要検査
作業療法と心理療法で
凝り固まった肩を
理学療法で癒す という
マッチ・ポンプ式の毎日
「あ」と「お」の区別も困難なのに
「見て、答えてください」
だなんて!
臨床心理士が あなたは
発達障害のようです
とか
回復過程で心理的不安定を
引き起こす可能性があります
とか
要らぬことを言う
感情を司る前頭前野が
子どもに還って
制御不能に舞い踊る
自分が発達障害だなんて
もう知っている
教育学部ではなかったが
大学在学中に
高校の地理歴史・公民
中学の社会科の資格を取得し
学習心理学や発達心理学などを
学んでいくなかで
初めて知った 自分のこと
そういえば 子どもの頃
学校の先生が
親に言ってた言葉を
まだ覚えている
「この子は将来、とても苦労する。」
僕はポカンと聞いているだけだった
4月21日(月)午前4時頃
不眠対策も兼ね
施設から勧められた自主トレで
病室を出ようとしたとき
「うるせえっ!」
突然の怒声
僕は構わず部屋を出た
得体の知れない恐怖
その声は まさに
小さい頃 いつも
恐怖に怯えながら過ごした
父親からの恫喝そのものだった
僕はナースセンターへ逃げ込んだ
彼のわめき声が
遠くこちらまで響き渡り
続き ナースコールが鳴り響く
僕はパニック状態に陥った
まざまざと蘇る
過去の記憶
父親からの理不尽な暴力
母親からの無理解
死にたい? いや
自分に死ぬ価値はあるの?
その価値さえ
見出すことができなかった
結局 僕は
転室せざるを得なくなった
取り乱す僕を
男性職員が慰めてくれた
「分からないんです 何もかもが
親も 兄妹も
先生も 同級生も
何もかも分からないんです
ただ、いつも怒られて
いじめられるんです。」
完全に
子ども還りを発動してしまった
言葉が勝手に溢れ出る
「愛情とか、憎しみとか、
情念のような何かで
皆が裏で繋がっているのに、
自分だけそれを感じ取れないんです。」
「どうして…どうして…」
"なぜなぜ病"が甦り 止まない
少し落ち着いたのか
涙を零しながら言葉が漏れる
「こんな歳になっても、
まだ こんなだなんて、
こんな自分が情けなくて…。」
太宰治『人間失格』で
大庭葉蔵が残した言葉
「自分には、人間の生活というものが、
見当つかないのです。」
『人間失格』の大庭葉蔵は
現代風に言えば
発達障害の悲劇であり
その特徴的な偏向や拘りは
個性とみなし
適切なケアと支援が必要
という風になるんだろうけど
あるいは
『人間失格』とか自虐して
弱音を吐いたところで
誰も構っちゃくれないぜ
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