思い出
つむじ風に吹き上げられた
桜の花びらたちが円舞するのは
自然の法則に身を委ねるが故の
不自由さが形作る美しさ
“自分”という他者の重力に
従うべきか 背くべきか
囚われることが自然なのか
逆らうことこそ自由なのか
何事も中庸が肝心と
みな口を揃えるけれど
埒の明かぬ片足立ちなど
きっぱりやめて
いっそ破滅覚悟で 図太く
大地に両足立ちしてみたい
人間という
見たがりな生き物が
外部に見つけた
“自分”という奇妙なオブジェクト
興味津々分け入ったその内部は
結局
曝された外部であることに気づく
死ぬまで生きる、の難しさよ
人生とは味わいであり
自らの気分の被害者となる自身が
沈没しないよう
死ぬまで続く感情ゲーム
訳も分からぬまま
バトンだけ手渡され
ただひたすら
駆け抜けるだけの人生に
なぜ生きるか?だなんて
いっそのこと
バトンなど誰にも手渡さず
この身体から
逃げ出してしまいたい
人のする話は どれも
解釈されたおとぎ話で
人生の目的なんていう作り話は
美味しい料理みたいに
余裕があるときに ふと
食べたくなるような嗜好品だ
“そこ”に辿り着けるか否か
勝ち負け自体は いつだって
ひどく限定された妄想なのに
意味のあるなしを
偉そうに断じるソフィストたちも
拳を緩めれば殴られるだけ
と言わんばかりで
“負け上手”になるための
上手い仕方は教えたがらない
きっと需要がないのだろう
“負けるが勝ち”なんて諺も
勝ちを譲りあいながら
最終的な勝利を目指しているし
地球の重力に導かれ
自由自在に形を変えながら
流れ行く川は
勝っているのだろうか
負けているのだろうか
あるいは
何かに勝つと同時に
何かに負けていて
救いようのない勝者と
破れたが故に救済された敗者なら
どちらが勝者?
いったい 情報空間の世界は
エネルギー保存の法則など
まったくうわの空で
辻褄合わせには
無頓着なのだろうか
丸めたティシュを
ごみ箱に向かって放り投げ
入る、入らない、から
領土争いの末の虐殺まで
"勝ち負け"という価値観は
真・善・美の
さらにメタなる物語となり
権力闘争という範疇には
とても収まりきらぬほど
より政治的で かつ広く根深い
いったんそれを掛けてしまえば
なんでもかんでも
勝ち負けに見えてしまう
不思議な眼鏡
“破る”より“包み込む”方が“勝ち”
だなんて
世間は綺麗事をほざきながら
結局 勝ち負けに明け暮れて
殴打し、打ち破り、併合し
アメーバのごとく捕食する
強姦まがいのマッチョイズムも
所詮
子宮卵膜を破り生まれてきた
我らの宿命なのだろうか
昔、物置の片隅に眠っていた
小学校の卒業文集の中に見つけた
Q.行きたい場所は?
A.地球の角
なんていう中二病の書き残しは
鋭角並みに尖っていて
微笑ましくもあり また
ちょっぴり切なくもあった
何を言っても伝わらず
どこを探しても居場所などなく
(それがお互いさまであることは
知る由もなく)
あぁ、人間は
居場所が欲しいと思う生き物
なんだな、と思ったり
「それが何処か、
決めるのは自分だろ?」
そんな強がりもすぐに
周囲の喧騒にかき消され
それにしても
あの人たちは いったい
何をそんなに競争しているのだろう
椅子取りゲーム? 陣取りゲーム?
争いの果てに生まれる調和なんて!
誰の人生にも関わるのはご免だと
切に願っていたけれど
人を避けた先にも また人がいて
どこもかしこも
すでに誰かの縄張りだから
地球は丸いどころか
ハリセンボンみたいにトゲトゲだ
パノプティコンの円心から
距離を置いた円周の
ほんの一角で
紙にコンパスで円を描き
起点と終点が
ぴたりと結び合い 溶けあうと
どこが始まりだったか
分からなくなる
あの感覚が不思議だった
そして円の真ん中には
コンパスの針の跡
幼い頃は 互いに分かりあえず
振り返れば
他人の抱く思いや感情を
どれだけ取りこぼしてきただろう
つれない態度で
どれだけ寄り添う手を
振りほどいてきただろう
忘れたいことばかりで
あんなに悩んでいたのに
今はもう思い出せない
沿道から身を乗り出した山吹が
春風に黄色い声援をなびかせて
こんな僕まで励ましてくれるから
その光景を しっかり
目に焼き付けようとするのだけど
近ごろは
忘れたくない光景に出会っても
いつの間にか忘れているよ
毎年 内気そうに俯いて咲く
可憐なカタクリの花は
くだらないことばかりで忙しい
僕のことなど待ってはくれずに
可愛らしい緑の果実だけ残して
散ってしまったよ
狂った速さで
春が駆け抜けていく
TOP