再び 問うとは何か

率直な傲慢さを以て
見解いたします

問いと答えは表裏一体
図と地のゲシュタルト

問いと答えは教師が決める
いや この場合 教師は
ただただ権力の手先だ

後に控えるのは会=団体
〜委員会 〜学会 〜協会 等々
もう古い言葉なのか パラダイム

責任ある問いには責任ある答え
と適用範囲が準備されている

答えを用意せずに
問いだけ発するという遊びがある
そのときはどうなるか

丸い四角は存在するか
黄色い赤は存在するか
存在論と認識論

不定 が解なのか
解なし が解なのか
任意 が解なのか


それらを極めたところで
答えは出ない構造になってる

何がしかの答えに
納得という
不思議な効力を
与えているのは
所詮は
個人のちんけな欲望か

では答えを出す権限があるのは
哲学者か 認知科学者か
はたまた 弁護士か
そして あなたか

僕らごときが発する言葉に
刃の威力を与えるのは何か

問いの出処はどこか
その問いを誰が問うたのか
答えは問者によって
既に用意されているのか 否か
答えの認証ルールとプロセスは透明か

答えは天から降ってくるものではない
必ず誰か=人間が制作しているものだ

所詮
見たいものしか見えない
聞きたいものしか聞こえない
それが悲しむべきかな 人間
それが慈しむべきかな 人間

むかし
自分とは何かという問いに
素晴らしい自分のことである
と答えて怒られたことがある

自分が納得するって
どういう状態のことなんだろう
思考停止 思考のさいはて?
なんやらロマンチックな危険思想

何が正当で 何が不当なのか
誰の答えが飲めて
誰の答えが飲めないのか
決まらないのは
こういった問いの構造が原因している

Q.E.D.












19/09/01 23:35更新 / しそら
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