言葉の復活
心の置き場所が見つからなくて
毎日どこか不安だった
家族が
クラスメイトが
みんながうなずき共感している事も
なんだか、?が頭を回り一人うなずけない
言いたい事は理解できるけど
感じれない自分はオカシイのか と
人と違う感じ方。それを持つ自分は
悪いのではないか。
おかげで人の感情を察することに敏感になったけれど
それはきっと根本的にナニか違う。
人と違うのは苦しい。
わかってあげようと努力は出来ても
わかって欲しい言葉が上手くみつからない
正論で人を傷つけたいわけでも
計算で人の上に立ちたい訳でもないのに
または嵐が過ぎるのを待つように
口を閉ざしてモゴモゴしてたいわけでも、本当はない
そうしなければ生きてこれなかった
本当。
本当は、
ただ自分の本当を話したいだけ
自分は空っぽなんかじゃない
言いたいコトを
表現したいコトを
ゴミ箱に入れてフタをしただけ
みないようにしただけ
人に迷惑掛けたり傷つけたりしたくなくて
まして本音の言葉が
親の困った顔を引き出してしまったりしたら
封をするしかない
怒られたり呆れられるより悲しく
理解されない辛さが胸を覆う
身が焼かれるような
狂おしい渇望の嵐に飲み込まれて
炎が心が埋めつくされてしまう前に
自分を疑い自分に嘘をつく。何もないのだと。
自分で
自分でなんとかしなきゃ。
少し大人になって
同じ仲間をみつけた時、
あるいは感じる心に善悪を持ち込まず
私以上に
私の心と真っ正面から向き合う人と出会った時
なんだか肩の荷物をようやく下ろせた気がした
その人が私に詩人として復活する事を望んでくれたから
私はそれを思いだし
再び詩を書いてみる
理論だって心を伝える道具だよ、とその人は教えてくれた
きっともう二度と会う事はないだろう
仲間であり恩人である人に感謝しながら
多くの哀しみを知ってる私だからこそ
感じる心を止めずに
言葉に紡いでいきたい
私でも生き抜いたんだよ、と
見てくれた人や後輩達の道になれるように。
きっと、いつか。
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