宮大工の話を読んで
教科書に書いてあった
無欲でないと堂や塔は建てられない
私は将来建築関係の仕事に携わるのも楽しそうだと思ったが
この言葉を聞いて、少し迷っている
貴方が一番 生 を感じるときはいつだろう
食事中?
楽しいとき?
怪我をしたとき?
様々な答えがあると思うが、私は
欲している時だ
人とは欲が服を着て歩いているようなものだと私は思っている
お腹が空いた
眠たい
あれが欲しい これが欲しい
認められたい
他にも沢山あるだろう
これらの 欲 を感じている
厳密に言うと
感じている と自覚してるとき
私は自身に 理性 を感じている
理性というのは人間と獣の境界だと私は考える
私の詩を読んでいる人なら私が
死にたくない
長く生きたい
と強く思っているのは知っているだろう
私は少しでも長く生きたい、少しでも長く人間でありたい
なので、私は可能な限り貪欲である自分を観測していたいのだ
観測というのは理性を持って、自分を第三者的に見ることだ
そうすると人間として自分は存在していることを感じられるから
話を戻そう
建築家はどうやら無欲でないといけないらしい
特に神仏にかかわるものならなおさら
建築物とはいいものだ
長く残る
それと同じだけ作った人の記録も残る
しかし、それを思うのはどうやら良くないことらしい
それでは私は建築家になれないじゃないか
私の思いと相反する気持ちが重要な仕事など私がしていいわけがない
過去の、気持ちの決まりを律儀に守ってきた人への冒涜となるからだ
かくゆえ私も 無欲な死体のようになって働きたくはない
どうしよう
どうするか
読むのが面倒だと感じているそこの貴方
喜ぶといいですよ
私も観測した感情を文字にして綴るのに飽きてきたところです
というわけで、続きは考えが纏まったときにまた書きます
それでは
良い一日を
TOP