惟幾(いき)燦稿
ジダイというきょだいな禍溜りの換りめ
うねりのはざまでその日まで泯っていた
ようだった個性が突然機雷のように炸裂
し歴史の頁の片隅に鮮烈な印画を
焼きつけることがままある 時代の区切に
寄与した将雄らの夭逝はその1形質
溯れば幕末動乱記の坂本何某もそう
めを転じれば三島由紀夫はクリエイター
としてただ遲乱を脚色し自演しただけだ
がともに歴史の束ね綴り叢稿に焼きつき
縫い留められる
その狹か 阿南惟幾氏は類なき折まぬ努力
で幾度もの挫折の果て武の頂に登攀った
漢なれどいまも相応に評価されてるとは
いえない卿とだが ひとつの波瀾極めた
時世を国家レベルで軟着陸させるために
智を尽くし腹芸とフェイクをも串しし
突出せんとする稚拙将士の卵らを圧えた
肝もの太わりともののふ禅んの潔癖とが
喪われた古時代の残照を象徴させ
南洲翁遺艮を彷彿させる吊鐘となり
鎮座した肖像として録こる
ときの鈴木貫太郎首相とも気脈を通じ
おなじおおきな崇高な目的のために
できうるかぎりの智略を窮めん
時代背景と置かれた立ち位置が異なる
とはいえ黒田官兵衛のそれにも通じる
未熟だが賢明な君を推し戴いて
忠義に殉ずるふるき球ま 研がかずとも
崖をせにし瀬戸際で発烈と晄放やいた
死の少し前『米内海相を殺せ』と剣呑な
る台詞を残したと義弟で側近の竹下正彦
中佐は遺たるが真偽は不明らぬ一方
海軍大臣米内光政卿と連携していた
弄策演出の虚言芝居の仮説も拭えづ
そうした緊ん箔に飾られた語りはもはや
記憶の疎と 伝承の類いとなりつつあるも
なつのいただきに際して毎度
清ましたかがみとして映しだしたとき
現代は如何に せこせこコセコセと
あまりに 矮小な遥璧なのかと 肩が墜ちる
合せて『宮城事件』時に部下らに弑され
時代変相の礎となった森赳中将も悼たみ
たいもの
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