いいねのつみ
評価欲求は卑小 と罪うちこむ
おおくのひとは謂う
それはあなたの独りよがりだ
自己満足でしかない
作曲も絵画も書も詩作も
建築や園芸さえも本当はそう
いうものなのかもしれない
ただ作品をひとの目のふれる
ところに顕らわしさらけだして
自己主張したふりだけできれば
そこで完結していいのかも
しれない
よくできたね 自分偉い凄い
(*’ω’ノノ゙☆ だけど
離れて時間たってから見直して
じぶんのさらした恥の数々に
打ちのめされる愚行 馬鹿さ加減
まあでもいいよ のこってもいい
のこらなくて虚空に記憶の彼方に
永劫に霧消してもいい どっちでも
じつはそんな残る価値のあるもの
なんて思ったより多くない
いったい 二十三世紀になって
我々が生きた旧い二十世紀や
(今世紀生れの若い人達 スマソ!)
二十一世紀に誕まれ育まれたもの
のどれだけがまだ評価されて
のこってるんだろう?
へたうつとぜんぶハードディスク
かマイクロメモリーの橋っこに
纏とめられて何十年もの間見向き
もされてないかも知れない
二十二世紀にもしかしたら
もっと ものすごい 人類の道に
真にのこるべき文化が登壇して
ひとの生き方換わってるかも
しれないんだぜ?
まあこういったいつもの
ぶっとんだはなしはともかく
まあ刹那的な事情の噺に戻って
いいねいれてもらえないときの
詩作者のやる気って砂ら砂らと
削がれることも見る人たちには
知ってほしいな 楽しいとか
不快感感じるとかいうのも
十分んだいじなことだけど
というぐちっす マタスマソ
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