鬼ぶりんぶんめい
きのうは二〇〇人死にました
おとといは三〇〇人死にました
きょうはきっと
こまったな
ひとの死者のかずが記号にしか聞こえなくなった
第三波のその何千名もの犠牲者にだって
一人一人のけっしてちいさくない
大切なドラマがあったはずなのに
少年のころはだれが死んだというニウスきくといちいち憐れみおぼえ
その死の原因に思いはせ
一体何ゆえに罪なく死が訪れるのか
死ななければいけないのは何と悲劇的な運命だったのだろうなどと考えた
だが歳をへるとともにどうでもよくなってった気がする
いまでは耳する数字のラレツになにも感じないラセツと化した
死があたりまえなのだ
じぶんもあたりまえのように消えて喪くなるのだ
宇宙もしかり
哀しむことには意味がない
そう感じざるをえなくさせられた社会って
それが戦争のせいであれ天災人災のせいであれあまりにも末世的
そのうちおうど色した屍くろという袋くろの上
ふんづけてあるいて踊る人種になるのかな
ひとが 鬼ぶりん とよばれる世代が洗るのかな
こんなユメに欠けたチカラ(社会解析力)はいらない
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