死理承髄解派条叢即本
死や滅亡は特段恐しいものではない
日常でありふつうである
死はたんに着てる衣らだの都合で
脳内血圧が下がり思考や認識が
できなくなる過程の総称にすぎない
死の前はものすごく痛かったり
苦しかったりすることもあるが
それはまた別の話
死を境に苦痛はなくなる
唯眠れる 動かなくて棲むようになる
死後に遺したものに煩わされる
必要もない 放なたれる 自由だ
だから死は生命の自然態のいちぶだ
きみはそう 想像するがいい
物故直後にいしきごとすぽんと
死後の液体に囲まれた次元に
抜け落ちてヒロガリ 拡 散 し
ある意味また産まれる
膿んだあげくのおつぎのイノチ
coming promissed live
きみのまわりでもきみと同様の
ナカマがひゅぽん ひゅぽんと
相い継いで芽吹いてくるよ
前の経験と記憶はべつにいらない
そういった旧るいいものからは
祭れて解放されたあとだから
ただ現界にきみの係累が残されて
立往生してるの多元的に感じるかも
そのとききみはすでに幽霊です
現界とは相容れない事象になってる
そんなふうにながれながれて
自然界とやがて重なりあったら
聖霊になってて世界(エーテル)と
不可分だ
個意思でいる意味もない
ただ雲の隙間からイチブとなって
俯瞰観覧してればいい
『観客(オオディエンス)』だ
それと足掻くな 未練に追いすがるな
唯液体のように 粒子の配列のように
異なる導電帯の間に居座り電子らを
日課のごとく受け渡していればいい
光電効果を果たせばいい
それが役割(きみの死後跿)
人類の絶滅さえも何ら悲劇ではない
大気も水分も何もなくなった宇宙の
岩と砂漠のあばたが素との自然態
さらに逆か降ぼって高密粒子が
ぶつぶつ鳴って減し合っている
状況が原流態なのだから
どう?
こう悟しえてくれる絵本の教科書
贈らったら怖いもの無くなった?
ぼくのまだみぬこどもたちよ
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