愛する者のために、というエゴ
自分の
愛する者のため
守りたい人のため
奮闘することは
一見すれば
格好が良い
けれど
裏を返せば
自分が愛していない人
守りたくない人のためには
何もしない
または
守りたい人のために
傷つけてもいい
苦しめてもいい
そういう意味も
孕んでいる
人は
自分を受け入れ
愛してくれる人
自分を
守ってくれる人を
愛して
守ろうとする
それは
愛の反響とか
共鳴とも言うのか
自分にとって
都合の良い人を
大切にしようとするから
結局
その行為の根源は
エゴなのかも知れない
エゴが原動力となって
行ったことは
どこまでも正しいように見えて
どこかしら
矛盾や綻びがある
自分のその
エゴのために
何かを犠牲にしているとしたら
それを
正義と言えるのだろうか?
もし
何かを犠牲にしているとして
自分は
胸が痛むか?
それとも
何とも思わないか?
真の愛は
無条件と言うけれど
全ての人を
同じように愛し
大切にするのは難しい
だから
開き直って
自分にとって都合の良い人だけを愛し
まずは
自分が出来る限りの愛を
その人達に注ごうとするのも
正しいのかも知れない
それしか
出来ないかも知れない
それだけ
人は弱い生き物だ
でも
愛する人達の範囲を
広げていく努力を
私はしていきたい
それも
エゴかも知れないけれど
私が
こうしたいと思う道を
歩んでいきたい
そうしなければ
それが
正しいことなのかどうかも
分からないから
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