古典を読んで、感じた違和感
最近
古典文学を読むことにはまっている
平安など中世の
貴族達の価値観
「もののあはれ」など
雅なものを愛でる風習
男女の愛
どれも
文化としては素敵なのかもしれない
ただ
興味深く読み進めていると
つい感じてしまう違和感がある
貴族達は
蝶よ花よ
男女の恋よと
美しいとされるものばかり心惹かれて
それしか見えていない
美しい世界の中で
美しいものだけを愛でて
謳歌している
貴族達の食べるもの着るもの
生活基盤を支えている民草のことなど
気にも留めていない
きれいな服を着て
和歌を詠い競うことに熱中し
その知識ばかり広げることに心酔していて
汗や土まみれの服を着て
農具を携え
畑や田んぼを耕し
その日生きるのに必死になっている
人々の暮らしや気持ちを
つよほども意識していない
自分たちとは別世界の住人だから
貴族達の生活を支えることが当たり前だから
気にする必要が無い
とでも言うのだろうか?
自分たちが美しく汚れのない世界で
生きていけるのは
代わりに
汗や土まみれになって
必死に働いている
民草がいたからであって
その当たり前を作ってくれていることに
哀れに思うよりも
感謝しなければいけないだろうし
せめて
意識を向けるだけでも
しなければならないと思う
和歌の知識ばかり膨れ上がっているのに
世間の人々の暮らしへの知識が薄く
世間の人々がより暮らしやすい
平和な国にしていくために苦心する人が
見受けられない
美しい生活
和歌
出世
そんな狭い世界だけの
かりそめの美しさに惑わされ
誰も気に留めない
市井の人々の暮らしを
私は思うよ
美しいものは
きれいな着物や花とか
そんなものばかりじゃない
香しい花や木の香りだけじゃなく
雨水で浸透した
土や草の
自然な香りも好きだ
のんびり
美しいものを愛でるだけの暮らしよりも
誰かのために
汗や汚れまみれになってでも
必死に働く方が
生きた心地がする
そんな私が
平安貴族であったなら
絶対
貴族社会に馴染めなかっただろうと
思う
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