成長し合える関係とは?
完全な人はいない
自分もそう
みんな不完全だからこそ
人と人は
関わるんだと思う
お互いの似たところに惹かれて
共鳴するように
関わりを持つか
または逆に
自分にないものを相手に見いだし
足りない部分を補うように
関わり合う
いずれにせよ
その関係の中で
色んなことを学んでいくことで
完全に向かって
人は成長していく
完全に向かって
学びを得ていく過程で
人の不完全さを見て
「愚かだ」と
つい批判したくなる
愚かな人の有様を拒絶し
少しでも善い人間になろうと
向上心を持つことは
スタンダードなやり方だと思う
ただ
誰だって不完全で
白いところも
黒いところも持ち合わせている
完全な白も黒もいない
その色の濃淡は
人によりけりだろうけれど
「この人は私より黒い」と
批判したところで
相手は白くはならない
批判は決して
相手の黒ずみを消してくれる
消しゴムではない
ならば
「お互いの不完全さを
許し合いましょう」ということであれば
自分の中の不完全さや
相手の中の不完全さを
受け入れ合えるだろう
ただ
許すということは
見過ごすということではない
自分の愛する人が
自分に対し
攻撃的な発言をしたり
理不尽な要求をしてきたり
明らかに害となるような行為をしているのに
「こういう人でも好き」
「自分がいないとダメだから」と
理由を付けて
黙って
自分の受けた痛みを呑み込む
それは
本当にお互いのためになることなのだろうか?
私の父は
母からそういった類いの仕打ちを受けて
愚痴はこぼしても
何だかんだで
笑って受け流している
そこに
怒りがあったとしても
憎しみはない
愛故に許してしまうのだろうが
その関係は
かろうじて安定を保っているけれど
歪であることは確かだろう
その歪な関係が
安定方向に変わっていかないのは
その関係に対する
危険意識がないからだ
母は父が当たり前のように
何でも受け入れてくれると信じ
父は
その要求に応えられるだけの器用さがあり
たとえ理不尽であっても
応えたことに満足してしまう
それで何とか保ってしまうから
今までこの歪な関係が続いてしまった
黙って受け流すのが優しさ
かもしれないけれど
「これはおかしい」
「応えられない」と
自分の中の怒りや不満に耳を傾け
ストライキを起こす勇気を持てれば
母は
行き過ぎた要求に気付き
その歪な関係は
修正されていくかもしれない
夫婦の関係を
良い方向に持って行き
お互いの関係から
学びを得ていくこと
もし
関係に偏りがあれば
変わろうとする気持ちを持てるか?
Yesならば
おそらく
その夫婦は
お互いに支え合うことができ
成長し合える関係と言えると
私は思う
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