合理的配慮とは何だ?
例えば
障害がある人に対して
何らかのフォローをすることで
その人が
一人ではこなせない仕事を
こなせるようにしてあげる
そういう配慮を
合理的配慮と言う
その人が
社会に溶け込めるよう
配慮することで
当人は生きやすくなり
当人への理解があることで
周囲も接しやすくなる
とても素敵な思想だと思う
だけど
高齢で腰が曲がり
身体的にも精神的にも
きちんと仕事をこなせるだけのスキルが無く
雑に作業を済ませてしまう
常識外れの勝手な行動を連発し
注意しても
なかなか改善しない
一応
仕事はこなしてはいるけれど
周囲に結構な迷惑をかけている人に対し
「この人は年だから
身体的にも
精神的にも
完璧にはこなせない。
だから
大目に見てあげよう」
という
一種の諦めを持って
受け流す
これは
合理的配慮と言えるだろうか?
配慮をすれば
その人が出来る範囲で
ある程度仕事をこなすことが出来る
その際
その人がどういった配慮をすれば
どのようなことが出来るか
周知され
周囲の「合意」があるから
「合理的配慮」が成立する
しかし
「この人は言っても聞かないし
普通のことを求めても
応える能力が無いから
諦めよう」という観念は
果たして
合理的配慮と言えるだろうか?
その人について
何が出来て何が出来ないか
明らかに出来ず
なあなあなまま
周囲に迷惑をかけた状態であり
「周囲の合意」がない
そもそもこの人は
一般雇用であり
「普通の業務をこなすべき立場」で
雇われている身なのだから
配慮は受けても良いとしても
それなりに業務は
果たせなければいけない
それが出来ていないのだから
違和感を抱かれても
仕方が無い
この状況を
職場の長である
今の事務長は知らない
前事務長は
私の所属する清掃について
何も知らないまま
この人を雇ってしまった
正直
前事務長の浅はかさ
無責任さには呆れるが
それはさておいて
取りあえず
この人について
ありのままを現事務長に話して
出来れば面談を当人に対し行って
何が出来て何が難しいか
明らかにし
どこを配慮すれば良いか
処遇を検討してほしいと
お願いしてみようと思う
ここまでカリカリする私も私だろうが
私は障害者雇用として雇われ
自分に与えられた業務を
必死に誠実に遂行している
私はきちんと筋を通している
だからこそ
その人の所業や態度
そして
周囲の受け流し方が
本当に
許せない
こう思うのは
おかしいだろうか?
TOP