批判は本能、受容は理性

誰かを認めて
褒めることよりも

偏見の目で見て
けなしたり
批判するほうが楽なのはなぜだろう?

おそらく批判というものは
害と見なした相手を攻撃し
身を守るための本能ではないだろうか?

つまり批判は
保身と攻撃性を備えた
本能行動だと私は考える

また
人間は正しいことを追及し
それを遵守、追従する本能がある

だから
常識やマナーなどの正しさの規則が生まれ
他者への思いやりなど道徳的行為が尊ばれ
少なくとも日本は安全で住みやすい国だ

ただ問題なのは
その正しさの追及の仕方が
「これはいけないことだ」
「してはいけない」など
禁止や制限にあるような
ネガティブアプローチが取られやすいことだ

何が問題なのかというと
その規範から反れたものを排除しようと
批判的な働きが作用しやすくなるからだ

その代表例が
「いじめ」
「仲間はずれ」である

自分とは違うものを嫌悪し
排他的になるのは本能である
だから仕方ないのだろうか?

そうではないと
私は思いたい

批判という本能の対になるものがある
それは
「受容」である

自分とは違う他者を認め
違いを受け入れること

そこに
本当の和解と共感
平和がある

その正しさは
受容と共感からなる
ポジティブアプローチから生まれるため

批判から生まれる正しさを超えた
より多くの人に寄り添い
幸福に貢献するような
そんなレベルの高いものである

批判が本能であるのに対し
受容は理性であると言える

受容ができるようになるには
色んなヒトと関わりの中で
数多の視点、観点、価値観を認め
自分の中に吸収していこうとする姿勢が必要だ

そうして
理性的にヒトと関わることで
自分は進化していくことができるだろう


20/12/29 17:01更新 / アキ
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