受け入れようとすること
人と人の
考え方や価値観は違う
同じ物を見ても
ある人はただの物体と見たり
またある人は美しい、価値ある物だと感じたり
悲惨な事件の報道を聞いて
ある人は対岸の火事と受け流したり
またある人は実体験のように受け取って胸を痛める
人と同じ数だけ
考え方や価値観も存在する
違うそれらをわかり合おうとすれば
人と人はお互いの持てるそれらを伝達し合い
今までなかったものをプラスアルファーして
さらなる視点を増やし
考え方、価値観により深みを持たせていく
ある意味それは
人の心の進化と言っていいだろう
そのきっかけとなるのが
人と人が心を通わせ合い
受け入れ合うことである
受け入れ合うことで
絆や愛が育まれ
人は支え合い
お互いを生かし合う
そのような
プラスのエネルギーの輪が
世界に満ちていけば
様々ないさかいや差別が
なくなっていくのではないだろうか
戦争や略奪もそうだし
身近な例でいえば
偏見や
仲間はずれ、陰口などのいじめもそう
お互いの不理解を認識し
お互いのことを知ろうとすれば
何かが変わるのではないだろうか
確かに
知ろうと努力した結果
どうしても受け入れられないものがあった
相手を許すことができない
そういうこともある
それは仕方のないことだろう
それでも
数パーセントでも受け入れられるものがあれば
それまでの関係を
少しでも変えられるのではないだろうか
私には許せない人がいた
それは
その人がある人をずっと虐げてきたからだ
私はその人を悪い人だと
幼心に認識してしまった
今は不思議なことに
その人をある程度許せている
なぜならば
その人を疎外せず
嫌と思いながらも
その人に寄り添い
話を聞いて
必死に受け入れようと努力してきたからだ
この人は
変わることはないだろう
それに関しては怒りよりも
哀れみがこみ上げてくる
ある一定の境界を引いて接すれば
お互いを傷つけずに関われる
それだけでも
儲けものだと思う
許せない相手を知ろう
受け入れようとして
相手の思いも考えも知った
私にとって許せない相手は
自分が主役であり
誰かに必要とされていないと気が済まない
可哀想な人だった
相手の愚かさを知って
そういう人もいるのだと
受け入れることができた
受け入れることができて
自分の心の角が丸まり
広くなったような気がした
色んな色があるように
色んな人がいる
人という色は
消しゴムでは消せない色だから
いくら拒絶しても
嫌悪する度に自分が苦しくなるだけ
ならば
受け入れるしかないだろう
相手を知り
受け入れようとすることは
相手に対する怒りを和らげ
自分の心を和やかにしてくれる
そして
相手を受け入れられれば
いちいち負の感情を込めずに
客観的に相手を見て
上手く対応できるようになる
人と人が関わり合い
相手を知ろうとすること
受け入れようとすること
それは
自分の心の成長に繋がる
かかせないプロセスだ
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