正しさの押し売り
自分が正しいと
思っていることが
全ての人にとってもそうとは
限らない
類似している考え方があっても
100パーセント同じ理屈や価値観で
成り立っていることは
あり得ない
なぜなら
同じ対象を見たとして
その人の人生経験で
構築された観念や感性などに基づいて
投影される像は人により異なるからだ
ある人にとって正しいとされることは
別の人には間違っているとされることも
よくある話だ
私にとって深刻な問題を
とある人物に打ち明けた
その人は
私の悩みをまとめた資料を一読すると
「人に注目してほしくて病というストーリーを作っている」
「病に依存している」
「過去のストーリーを展開するより、未来の目標を具体化したほうがいい」
と、正論を言ってきた
ここで私は
違和感を感じた
この人は
私の何を知っているのだろう?
自分を変えるためなら
人のどんな言葉も受け入れるべき
それも一理ある
言っていることは
一理あるが
どうも納得できないところがある
私は病によりひどく苦しんでいて
その症状の緩和方法が知りたい
その訴えを1つ1つ聞く素振りもなく
淡々と正しいとされる解決方法を提示
具体的な目標とか立てられる状態でないし
苦痛が酷すぎて
無視するのも難しいのに
それに依存するなと言う
あなたにできることが他の人にもできるって
何で言えるの?
私に助言をするなら
訴えの一つ一つを聞いて
一つ一つ事細かに答えるのが
筋ではないかしら?
その人に合った解決方法を探す
それが助言のあるべき姿じゃないかしら?
あなたのしたことは
あなたの正しさの押し売り
私の訴えについて一切
答えなかった上に
具体的目標を立てたからと
まとめた相談の文章を
「解決したのだから気にしなくていいでしょう」と
線を引かせて
私の訴えを消させた
私の学んだ作業療法の面接法において
信頼関係の構築の基礎として
相手の話を否定せず(また、肯定もせず)
共感するというものがある
人の相談に乗る上で
話を聞くことは重要だ
まして
セッションとして相談に乗るのなら
訴えを全てなかったことにするというのは
いかがなものか
私が一番
腹を立てているのは
私への助言云々ではなく
私の訴えを全てスルーしたことだ
人は
人と話していて心が落ち着くのは
自分の話を聞いてくれていると安心するからだ
話を通して
例え解決が得られなくても
話を聞いてもらうだけで安心する
それは
そこに共感があるからだ
共感のない相談
正しさの押し売り
私は
セラピストになった際
同じようなことはしないと
心に決めた
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