大虐殺の後で
1994年
ルワンダ大虐殺を覚えている
私は若かった
フツ族過激派によるツチ族の大虐殺は熾烈を極め
鉈や棍棒を手に殺しが吹き荒れ
ルワンダの人口の10〜20%が殺された
ツチ族とフツ族は実はたいした根拠のある違いはなく
体形や豊かさなどにかこをつけて
外国勢力が分断して統治しようとしたそうだ
憎しみをあおり
人が他者を否定して仲良く協力しないようにする
それは民族紛争や労働者の非正規やパートの階層性を思わせる
違いを愛するのではなく、認め赦すのではなく憎ませる罠だ
戦争で稼ぐ者たちがいるように
しかしルワンダ大虐殺の後
都市キガリはアフリカでナンバーワンの復興を見せた
立ち並ぶビルに整備された歌壇の花が揺れる
ゴミの落ちていない
女が夜で歩ける安全な街への変身
そこへたどり着く人々の努力があっただろう
でも悲惨な戦争のあとでボロボロになっても
人々が本気で生活や社会の改善に闘えば世界は変わる
キガリはそれを証明した人々のための都市だった
復興の過程で傷ついた人々は詩をつづった
生きる意味を、願いを、夢や希望を
焚火を懸命に熾(おこ)すように
言葉が立ち上がる時、人々も立ち上がった
詩の力の本領を見て私は感無量だった
人らしく生きたいと願う時
詩は人の魂の首元に添えられた襟なのだと
願いの翼のように
詩の襟よ
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