最後まで詩集を出さないで死んだ詩人のために
わたしの詩の先生は須藤保さん
どこか祖父に似ていて
いつも山を歩いて日に焼けた顔で
単眼鏡を見せてくれ
これで野鳥観察するのだと
山役人をしてきたからか
定年後の老後も山から離れない
串田孫一のように山を言葉で描く
絵も趣味で描いていた
自分の死期が近くなると人は判るものなのか
せっせとうちの古本屋に蔵書を自転車で
運んでは代金は受け取らない
みんなあんたにやるよと笑う
それにしても不思議だな
つい先日この本棚で本を見ていたあの人が
死んでいなくなるなんてな
と うちの古本屋のお客同士が友達になり
みんな老いて姿を消す
若いときから
老詩人の主宰する同人誌に入り
わたしも研鑽のために詩を書いた
喜多村君よ
気楽にやれよ
どんなにせってもたかが言葉遊びだ
といつも言っていたが詩集も出すことなく
突然姿を消した
どこに行ったと連絡したら脳溢血で入院
それが機械で生かされて何か月か
亡くなったという連絡を受けて
火葬場に急行したら間に合った
お棺の顔と対面し
みんなみんないなくなると言っていた
生前の言葉を思い出す
人の詩集の出版記念会には出ても
自分の詩集は頑なに出さなかった人
そんな詩集なんか出してもよ
ご迷惑だろうと
恩師は無名で消えてゆく
新聞社の社長は言った
須藤保だけは信頼できる詩人であったと
なにも残さない
本も処分し絵もみんな人にやり
言葉すらも残さない
それでいいんだと
日焼けした顔はいまもどこかで笑っている
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