憂愁に惹かれて
どうしようもなく憂愁に誘はれる時があるのだが、
それもまた、俺に与へられた特権と思ってどっぷりとその憂愁に浸る。
その時に、
――出口なし。
と、観念する俺は、唯、憂愁の為されるがままに任せて
時間を浪費するその贅沢を味はふ。
その時間は、名状し難き極上の時間で、
それを一度味はってしまふと、もう抜け出せないのだ。
そして、その時、唯、俺の前にあるのは「自死」といふ言葉で、
死を弄びながら、堂堂巡りに埋没す。
何時まで続くのか解らぬその堂堂巡りは、
俺と言ふ存在もまた、
渦状の時間により支配されてゐると思い為しながら、
そして、それが一つの時間の解なのではなからうかと
独り合点し、
そのぐるぐる回る時間の軌跡を追ふのだ。
それが、極上の時間で、死を心棒に回る時間は、
まるで独楽のやう。
つまり、俺にもGyroscopeが埋め込まれてゐて、
その芯は真っ直ぐに死を指し、
それと直角を為して生が巡る。
死と生はぴたりと直角でなければ、
そのGyroscopeは永くは回らず、
ことりと斃れて死屍累累の死の中に
埋もれてゆくのだ。
況や能く憂愁の中に没す事能はず、
唯、藻掻く俺のみっともない無様な様が表出す。
嗚呼、何をして俺は俺の憂愁を手懐ければいいのか。
就中(なかんづく)、この憂愁は俺を死への憧憬を誘ふ。
俺が生まれる前に時間を戻さうと
無駄な足掻きをしながら、
無力な俺をとことん知る時間こそ、
俺が待ち望んでゐた時間の筈なのだ。
この俺が死の周りを巡るといふ途轍もなく曖昧な時間こそが
無限の相を持つ時間に相応しい。
それ故に俺は、この憂愁に惹かれゆく奈落の時間こそが
愛しき時間で、
さうして、俺は、また、今日も倦みながら、
暗中の中の手探り状態の俺を心底楽しむのだ。
それには奈落の闇こそが最も相応しく、
この憂愁に沈む重き俺の意識の拠処には
腐臭漂ふ死が最も似合ふのだ。
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