水面(みなも)
変転に変転を重ね、
また、無数の波が重ね合ふ水面に
この時空の面影を見るとすると、
一度たりとも同じ様相を呈さない水面は、
或る意味刹那的なのかもしれぬが、
その刹那に凝縮した時空の切片には
存在のあり得る余地が浮き彫りにされるのかもしれぬ。
水面は何時まで見てゐても全く飽きることなく、
吾が胸奥を打つのだ。
その儚い様相は絶えず流れゆく時間を象徴し、
また、その絶えず変化して已まない水面には
存在の一様相が象徴されてゐる。
ナルキッソスが水面に移る己の相貌に美を見たのは、
絶えず揺れる水面に移るその相貌が生きてゐるかのやうに
また、ナルキッソスが既に生霊の如くに化して
それが憑りついてしまった故のことなのでなからうか。
水面はそれ故に恐ろしいものなのかもしれぬ。
水面の揺れ動きが吾が魂魄の波長とぴたりと合ふ瞬間があり、
それが吾が存在において間が射すのだらうか。
多分、水面の上の無数の波の位相は、
必ず私の念、若しくは魂魄の拍脈する波動と同調し、
さうして共振を起こしては
吾を水面に釘付けにするのだ。
最早、水面の睨まれてしまふと
いかなる存在も最早微動だに出来ず、
ナルキッソスの如く水面から離れ得ぬのは必然なのかもしれぬ。
向かう岸からちょこちょこと泳いでくる真雁が、
此方の岸にゐる雌雁に求愛するのであらうか、
野生の性愛はこの水面故に許される行為なのかもしれぬ。
それにしても水面上の空気の乱れをも愚直に映す水面は、
既に鏡としては余りにも生きものじみてゐて、
面妖為らざるその有様に水面を覗き込む存在は
存在自体、つまり、物自体に既に憑りつかれてゐて
一歩も動けないのが実情ではないのか。
ゆらゆらと揺らめく吾が相貌に魅入りながら、
ナルキッソスの逸話に思ひを馳せては、
ナルキッソスは水仙になる事でしか救はれなかったに違ひないと
水面の吾が相貌は無言で吾に語ってゐたのである。
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