後ろ向きで
いつも前向きといふ言葉に恥辱を感じてゐた私は、
いつも、後ろ向きであった。
その恥辱の感情の出自は何かと問ふたところで、
しばらくは何の答へも見つからず、
いつも前向きであることを避けては
斜に構へて、前向きに進む人を嘲笑ってゐたのかもしれぬ。
しかし、嗤はれてゐたのは、
いつも後ろ向きの私であって、
それが恥辱の出自の糸口だったのだ。
さうして見出した恥辱の糸口を更に辿りゆけば、
私の存在そのものが恥辱でしかないといふ思ひに行き着く。
これは一方で自己否定をしては自身に何をするにも免罪符を与へて、
いつも逃げ道や逃げ口上を設けてゐて、
此の私の小賢しさが恥辱の淵源であり、
既に狡猾で老獪な知恵を身に付けてゐたのかもしれぬ。
だからといって、私の内部に生じる恥辱といふ感情は、
私の存在そのものの根拠に結びついてゐて、
だから、私は、私といふものを意識するときには、
己に対する恥辱の感情を禁じ得ぬのだ。
存在が既に恥辱であるといふことは、
或る意味では生きやすく、
しかし、一方では全く生きづらい存在のあり方であり、
他者にとってはそんなことはどうでもいいに違ひないのであるが、
どうあっても私においては此の恥辱なしに私といふものを意識することは出来ず、
ならば、私は無我夢中であり続けばいいだけの話なのであるが、
根っからの
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