透き通るような愛おしさ
彼女の声。「ほんとうに行っちゃうの?」と彼女は言った。哀しいくらいに積雪が綺麗だったからなおのこと、僕の胸はグッとあの町へと傾いた。ちょうど彼女の母さんが車で出かけるところで、スタッドレスタイヤと雪が擦れてくぐもったような、しかしなにかが籠もってるような音がするや、僕はそれを〈夢〉と名付けたくなった。そうだ僕は、ずっと夢に包まれてたんだ。
パープル、ピンク、ライムグリーン…閑静ながら小洒落た、水彩のような家々は銘々に個性豊かなクリスマスの装いをしていた。そうそう、彼女の家には小さな子どもが乗れるくらいのソリのオブジェが飾ってあったんだ。ミニマリストで有名な父さんが管轄する僕の灰色の家でさえモミの木のリースが飾られていて、"Merry Christmas"の金色を見るだけで、僕は夢と現実の区別がつかなくなるような心地がした。まして北国の冬は圧倒的に夜の方が長いのだ。輝ける朝の凛とした冷気さえ、深き聖夜の暖炉の火へと焚べられるために浮かんでいるかのようだった。甘い微睡みの中で聖女のそれのような彼女の産毛が日に揺れる。でもそれはあるいは僕の幻視で、実際にはたぶん揺れてはいなかったと思う。しかしその小さく巨大な揺らめきは瞬く間に、この胸に〈夢〉をふたたび彗星のように流し込んだ。水色の空に亜麻色の星々が儚げに浮かんだ。パープル、ピンク、ライムグリーン…彼女と歩んでゆくだろう道を、空と大地のスポットライトが淡く哀しく照らしていた。澄んだ朝のささやかな道は、霧に覆われた神秘な回廊になっていた。ブルルッとした震えが唐突に僕の身体へと舞い降りた。寒さのせいなんかじゃない。透き通るような愛おしさを収めきれなくなった身体の、やむにやまれぬ叫びのような震えだった。「聖夜を待つ必要なんてない」と僕は言った。「この朝が、この今が、僕が君と添い遂げることを決めた時だ」
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