スニーカー
なんとも言えない引っかかりのようなものを抱いているからこそ、胸をすくことを期待して私は神社にいるのかな。ザーッという心持ち強い葉擦れの音。朝の木漏れ日に坂口さんが揺れるように踊ってる。そうだあの女(ひと)はいつもなにか、あたかもハチドリのホバリングのような語り方をする。それがなんとも目障りに思われるのだけど、でもまさにその自己主張の強さに惹かれている自分を感じてもいて、そのどっちつかずの気持ちはやはり"なんとも言えない引っかかりのようなもの"と名付けるのが適当であるように思う。
しかしいずれにせよ私は一人だ。自分は華々しい彼女の陰に隠れた地味な花のような心地がする。高い木々を見上げると、サラサラ、サラサラと今度はやさしいそよ風が吹く。物哀しさをそっと重ねてみたならば、そういや自分睫毛だけは立派なんだよなと、"三日月、私は月の姫"…気づけば闇夜を感じて奇妙な高揚を覚えてきて。
健気な夜の姫たる私はささやかな月夜が舞台ならば、あるいは彼女を打ち負かすことができるだろうか。"打ち負かす"という語のニュアンスに自分が胸に発したにもかかわらず、驚く。なんでそんなこと思ったんだろう。背の低い私が坂口さんを打ち負かす図を描いてみると案の定劇画調で、私は思わず笑ってしまった。
たとえば子熊のあしらわれたスニーカーを履いてるなんてことが免罪符になるわけじゃないけれど、「か弱い私」をギュギュッと抱けば、三日月様もはんなり笑ってくれる気がした。
TOP