会話
淡い朝陽に包まれた丘があった。そこには昼も夜もなく、永遠の朝陽の淡さへの包まれがあった。「〇〇ちゃんよ、ここはえーの
amp;#12316;」と祖母は言う。小鳥がチュチュチュンと跳ねてくる。祖母と小鳥を胸に足し合わせてみれば、"まったき平和"と解が出た。でも考えてみればあちこち岩が転がっていて、たとえば大昔かなんかにここで激しい戦いが行われたのだと聞かされたとしても、私はさして驚かないだろうと彼女は思った。
ピリッとしたものを感じて右を見た。右の端からおとなしめの男子生徒がこちらを見ていた。すぐに目を逸らしながら、その直前の彼のえもいえぬ哀しげなトーンが甦っていた。丁度ゴミを捨てる段で良かったと彼女は思った。もし仮にもっと前に見つめられていたならばそれこそ、このいまあたりまでピンと張った見えない糸を彼とのあいだに感じ続けなくてはならなかったろう。それは言わば錆びかかった金糸だった。か細くも着実にこの身の内へとその、仄かな哀しみを纏った鈍い光沢を忍び込ませては、そうして不遜にもこの胸に何がしかの揺らぎをもたらさないわけにはいかないのだ。鞄を持って足早に下校路を行きながら、季節が春で良かったと彼女は思う。…と、凍える薄明かりのなか切なる夢の膜へと金糸が密やかに破り入った。彼女の肌に鳥肌が立った。"そんな目で見ないで!"ー抑え続けていた言葉を彼へと投げつけていた。
「おはよう、〇〇」「おはよう、有里紗。今朝は早いじゃない」「遅い方が良くって、ベイビー」「ベイビーなんて言わないで」「でもあなた、赤ちゃんみたいな純真な目をしてる」「そ、そんなぁ…」と彼女はなんだか萎れてしまったのだけど、それはやさしいため息を伴っていた。「キュオルル…」とバクが鳴き、深緑色の瞳が彼女をしかと見つめていた。"緑の家"とのフレーズがアマゾンのイメージと一緒になって飛び込んできた。「ねぇ有里紗、あなた大きな蛇みたいね」「まあ、そんなこと言われたの初めて」「いやらしいメス蛇(笑)」「そんなこと言って」と座った状態のままに腰をくゆらせながら近づいてきて、「またここ、お触りしてほしいんでしょ」「ねぇ私、男の子が怖いの」「そっか、あんた両方行けるんだったね」「何が"そっか、なの?」「つまりね、仄かにでも関心があるからこそ怖いだなんて思っちゃうんじゃないかと思うの」「私はあんな大人しい子、なんだけどそんな子、全然ぜんぜん、好きじゃないわよ」「ホントの、ホントに?」と有里紗はゾッとするほどに真面目な視線を向けてくる。「な、なによ」「べ~つに~」「ホント何?真剣に聴いといてすぐそんな態度変えてさあ」「や、〇〇ちゃんもやっぱ、お年頃なんだなあって、それで十分かなって。急に変えたのは悪かったけどホラ、あたしが気まぐれなのはアンタもさすがに、もう分かってきてるだろ?」
これじゃまるでツンデレじゃない。でもあの大人しい男の子へは私はたとえどんなに"ホントはホントは"なんて攻められたって意地でも胸は開かないぞ。空想のなかで有里紗はだいたいそれなりには批判的だ、というより自己を吟味するためにこそ彼女は通学前にいつも"彼女"と語らうのが習慣になっていたのだけれど、それにしても今朝ほど痛いところをズバリ突かれたことはかつてなかった。有里紗はまさに蛇みたいになってきたわね、それも人の心の弱い部分にスルスルとよじ登ってきては突っついてくる厄介なメス蛇。そんな私たちの行く明日をバクちゃんは静かに見守っていてくれる。そんなバクちゃんの瞳がたまたま緑だからって"緑の家"が浮かぶどころかほとんど飛び込んできたのはなぜだろう。私、あの小説生々しくて好かなかった、美しいとも思わなかった、でも人間全体を捉えようとするならば美しいところだけとはいかないんだろう、そうだ空間が緩やかに開かれていくような感覚を強く抱いた覚えがある、その快感の記憶がバクちゃんの綺麗な深緑と写し鏡のように照応したのかもしれないな、でも私はもっと透き通った水彩のような空間をこそ泳ぎたい、それはそうと遠いあの夢の人は虚ろな人ではあったけれど決して哀しげな人ではなかった、男の子の哀しげな視線ってどうしてこうも胸に絡みついてくるんだろ…
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