実家は桃源郷のようだった
久方ぶりに帰った実家は桃源郷のようだった。山に草木の緑は文字通り燃えていて、幸福な生命(いのち)の燃焼に囲まれた空は、抜けるように澄んでいた。
もう17、8年も昔の20前後だった頃、やはり帰省した僕は母に、"ここは時間が止まっているみたい"とだけ言った。あの原色の輝きを思えば信じられないのだけど、当時僕はこの町(村)の佇まいから、ひとえに閉塞感を受け取ったに過ぎなかったのだ。その温もりも煌めきも、安らぎさえも、あの日の僕の手からはすり抜けていた。
さらに少しばかり昔の高校の時分には、"将来ぜったいハリウッドスターみたいな金髪美女と寝るんだ"と、高額な英語教材に手を出したこともあったっけ。もちろんそれはあくまで「心の声」で、さすがに誰にも公言はしなかったけれど、ほとんど手のつけられていない英語教材は今でも、まるで店頭のように整然と棚に並んでいる。
新幹線の外を流れ去る家々の屋根を眺め続ける―ただそれだけのことがどうして、こうも心を落ち着かせるんだろう?と思う。とびきりの美女とともに人生というドラマを謳歌するのも、よいでしょう。でもこうして1人田園の、時代から隔絶した佇まいに過去を重ねるのも悪くない。叶わなかった幾万の願いが粒子になって、心の大地の果ての、淡い淡い木漏れ日の丘のような場所へと、たなびいてゆく。日本人の中の日本人になったみたいだと、僕は笑った。
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