履き違いの美
人々があれほど畏れ敬う美意識≠ニは何か
時々考える事がある
美について語る時
対象はもちろん人ではなく
建造物や芸術品など
“モノ”を指すべきなのだろう
しかし、時に人は
カリスマを身に纏った憧れの人物に
“美しい”だとか
“麗しい”だとか
嘆息混じりに呟く事がある
言葉を発した彼女にとっては
自分の目の前に現れた貴人の姿は
とてつもない夢なのかも知れない
ところが彼女の視ている現実こそは
儚い幻なのである
彼女の想い描く
尊いはずの人物は
もちろん芸術に対する造詣が深い訳ではなく
食うに事欠かない程
金回りのいい
貪欲なひとりの人間である
商売人という素顔を隠す為に
芸術家という仮面を被り
ヒラリと軽い身のこなしで
人々の前に姿を現す詐欺師
それでもヒトは脆く崩れやすい幻を
一瞬でも掴んだと勘違いして
満足するのだ
掴みとった詐欺師の袖先は
金と欲にまみれているにも関わらず
まるで“天狗の隠れ蓑”のように
大衆の目に曝される事なく
上手く隠されてしまう
あぁ、履き違いの愛が奏でる狂奏曲(ハーモニー)
美の道化師が踊り
嘲笑(わら)い
すべてが鮮やかな醜さに彩られてゆく
まさしく人間(ヒト)のヘソの奥にある
欲望の成される業
人々が渇望する限り
嘘が消え去る事はないだろう
そう、我が瞳(め)で真の美を見極める術を
人間(ヒト)が身を持って憶え込むまでは・・・
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