深層心理ダイバー
あんまり誰かに
頼りっ放しでも
いられないので
今度は自分が書いてみる
J-POPを
よく聴いている
若い頃は
対人恐怖という
劣等感を抱え
それを克服しようと
接客業に就いたが
結局全然駄目で
就職(転職)氷河期も重なり
流れに流れて
現在に至る
接客の声出しを兼ね
上司や同僚には 何度も
飲み会やカラオケに
連れて行かれ それは
苦痛以外の何物でもなかったが
さすがに 徐々に慣れてきて
今では逆に 有り難かったと
感謝している
今は 宴会のカラオケで
マイクを渡されても
何の躊躇もなく
歌えるので
上手い下手は別として
荒波に揉まれながらも
浮き輪にしがみつき
なんとか 沈まずに
ぷかぷか浮いている
でも やはり
歌うよりは どちらかと言えば
聴くほうが好きだな
海外のアーティストも
一時期 聴いていたけれど
今では ほとんど聴いていない
古い歌を聴くくらい
Eagles の Desperado だの
The Beatles の Let it be だの
Cindy lauper の Time After Time だの
Charlene の I've Never been To Me だの
Simon & Garfunkel の Scaborough Fair だの
J-POPだったら
アーティストの声色で選ぶ
できれば バンド演奏
歌詞は できるだけ曖昧に
余計なことは 聴きたくないから
ごく最近なら
藤井風 とか
Vaundy とか
Creepy Nuts とか
サカナクション とか
Mrs.GREEN APPLE とか
アイナ・ジ・エンド とか 色々
大御所だったら
玉置浩二 とか
平原綾香 とか
でも やっぱり いちばんは
玉置浩二 かな
命の恩人
もちろん
グッとくる歌詞にも
たくさん出会ってきた
小さな頃から
教科書の詩人が嫌いで
音楽の歌集ばかり
勝手に読んでいた
小学校の歌集に載っていた
『翼をください』という歌が
希死願望の歌だとは
すぐに分かった
(人は死ねば
天国に召します という
カトリック系の幼稚園に
通っていたからかもしれない)
『翼をください』
歌:赤い鳥
♪
『この大空に
翼を広げ
飛んで行きたいよ
悲しみのない
自由な空へ
翼 はためかせ
行きたい』
それ以外の解釈に
何がある?
(背理法的にも!)
それなのに 誰も
そのことに気づいていなかった
それを知ったとき
自分だけ
取り残されたような気がして
寂しさと 恐ろしさを感じた
好きな詩人は? と
訊かれたりもしたけど
谷川俊太郎など 大嫌いで
誰か選べ と言われても…
唯一 アメリカの詩人の
ホイットマン なら好きで
和訳の詩集を 今でも持っている
日本の詩人は ほぼほぼ
嫌い
僕にとっての 詩人は
J-POPのアーティストたち
昨晩 久し振りに
中島みゆき を聴いた
昔 上司が知っていたので
カラオケで歌った歌
『たかが愛』
中島みゆき:作詞・作曲
♪
『間違いだけを 数えていても
人の心を なぞれはしない
教えておくれ 止まない雨よ
本当は誰を 探しているの
あぁ この果てない空の下で
何ひとつ 間違わない
人がいるだろうか』
そういえば
こんなアーティストもいた
鬼束ちひろ
『流星群』
♪
『呼ぶ声は いつだって
悲しみに 変わるだけ
こんなにも 醜いわたしを
こんなにも 証明するだけ
でも 必要として
あなたが触れない わたしなら
無いのと 同じだから』
中島みゆき にしても
鬼束ちひろ にしても
苦しくないのかな? と
いつも痛々しく思う
人間には
無目的な衝動たるリビドーが
生得的に備わっていて
たまたま生の方向へ向いたのが
エロス
たまたま死の方向へ向いたのが
タナトゥス
そして 結果的に
前者が後者を上回り
生きているのが
今の人類だ
そうした
無目的で根源的な衝動を抱えながら
それを無意識の海底深く封じ込め
ペルソナを被り 役割を演じながら
日常という幻想に 酔い痴れることで
ぎりぎり
ゲシュタルト崩壊を防いで
正気を保っている危うい存在が
我々たる個人だ
ただ
ごく稀に
ペルソナを脱ぎ捨て
深層心理の
深海のさらに奥深く潜行し
"言葉"という手掛かりを
持ち帰って来ることができる
人もいるようだ
当の本人たちにとっては
さぞかし 辛かろう、苦しかろうと
察するに余りあるが
彼ら、彼女らは
僕にとっては
命の本質を照らし出してくれる
光なんだと思う
誰かの苦難が
誰かを救っている
それはまるで
イエス・キリストの受難のよう
あなたは わたしの 光
ご本人からすれば
えらい迷惑なことに
違いないだろうけど
そういうことも
あるということを
あなたには
知って
忘れずに
覚えていてほしい
頼りっ放しでも
いられないので
今度は自分が書いてみる
J-POPを
よく聴いている
若い頃は
対人恐怖という
劣等感を抱え
それを克服しようと
接客業に就いたが
結局全然駄目で
就職(転職)氷河期も重なり
流れに流れて
現在に至る
接客の声出しを兼ね
上司や同僚には 何度も
飲み会やカラオケに
連れて行かれ それは
苦痛以外の何物でもなかったが
さすがに 徐々に慣れてきて
今では逆に 有り難かったと
感謝している
今は 宴会のカラオケで
マイクを渡されても
何の躊躇もなく
歌えるので
上手い下手は別として
荒波に揉まれながらも
浮き輪にしがみつき
なんとか 沈まずに
ぷかぷか浮いている
でも やはり
歌うよりは どちらかと言えば
聴くほうが好きだな
海外のアーティストも
一時期 聴いていたけれど
今では ほとんど聴いていない
古い歌を聴くくらい
Eagles の Desperado だの
The Beatles の Let it be だの
Cindy lauper の Time After Time だの
Charlene の I've Never been To Me だの
Simon & Garfunkel の Scaborough Fair だの
J-POPだったら
アーティストの声色で選ぶ
できれば バンド演奏
歌詞は できるだけ曖昧に
余計なことは 聴きたくないから
ごく最近なら
藤井風 とか
Vaundy とか
Creepy Nuts とか
サカナクション とか
Mrs.GREEN APPLE とか
アイナ・ジ・エンド とか 色々
大御所だったら
玉置浩二 とか
平原綾香 とか
でも やっぱり いちばんは
玉置浩二 かな
命の恩人
もちろん
グッとくる歌詞にも
たくさん出会ってきた
小さな頃から
教科書の詩人が嫌いで
音楽の歌集ばかり
勝手に読んでいた
小学校の歌集に載っていた
『翼をください』という歌が
希死願望の歌だとは
すぐに分かった
(人は死ねば
天国に召します という
カトリック系の幼稚園に
通っていたからかもしれない)
『翼をください』
歌:赤い鳥
♪
『この大空に
翼を広げ
飛んで行きたいよ
悲しみのない
自由な空へ
翼 はためかせ
行きたい』
それ以外の解釈に
何がある?
(背理法的にも!)
それなのに 誰も
そのことに気づいていなかった
それを知ったとき
自分だけ
取り残されたような気がして
寂しさと 恐ろしさを感じた
好きな詩人は? と
訊かれたりもしたけど
谷川俊太郎など 大嫌いで
誰か選べ と言われても…
唯一 アメリカの詩人の
ホイットマン なら好きで
和訳の詩集を 今でも持っている
日本の詩人は ほぼほぼ
嫌い
僕にとっての 詩人は
J-POPのアーティストたち
昨晩 久し振りに
中島みゆき を聴いた
昔 上司が知っていたので
カラオケで歌った歌
『たかが愛』
中島みゆき:作詞・作曲
♪
『間違いだけを 数えていても
人の心を なぞれはしない
教えておくれ 止まない雨よ
本当は誰を 探しているの
あぁ この果てない空の下で
何ひとつ 間違わない
人がいるだろうか』
そういえば
こんなアーティストもいた
鬼束ちひろ
『流星群』
♪
『呼ぶ声は いつだって
悲しみに 変わるだけ
こんなにも 醜いわたしを
こんなにも 証明するだけ
でも 必要として
あなたが触れない わたしなら
無いのと 同じだから』
中島みゆき にしても
鬼束ちひろ にしても
苦しくないのかな? と
いつも痛々しく思う
人間には
無目的な衝動たるリビドーが
生得的に備わっていて
たまたま生の方向へ向いたのが
エロス
たまたま死の方向へ向いたのが
タナトゥス
そして 結果的に
前者が後者を上回り
生きているのが
今の人類だ
そうした
無目的で根源的な衝動を抱えながら
それを無意識の海底深く封じ込め
ペルソナを被り 役割を演じながら
日常という幻想に 酔い痴れることで
ぎりぎり
ゲシュタルト崩壊を防いで
正気を保っている危うい存在が
我々たる個人だ
ただ
ごく稀に
ペルソナを脱ぎ捨て
深層心理の
深海のさらに奥深く潜行し
"言葉"という手掛かりを
持ち帰って来ることができる
人もいるようだ
当の本人たちにとっては
さぞかし 辛かろう、苦しかろうと
察するに余りあるが
彼ら、彼女らは
僕にとっては
命の本質を照らし出してくれる
光なんだと思う
誰かの苦難が
誰かを救っている
それはまるで
イエス・キリストの受難のよう
あなたは わたしの 光
ご本人からすれば
えらい迷惑なことに
違いないだろうけど
そういうことも
あるということを
あなたには
知って
忘れずに
覚えていてほしい