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ハリコフ 小さなヴィーナス
ハリコフ 小さなヴィーナス          
トモ

君は知らないかもしれない。
この日の夜明け前の東の空に、ヴィーナス(金星)が輝いていたことを。
いつもより弱い輝きだった。
けれども、核の中心部分からは強い別の輝きが放たれていた。

ハリコフのアパートメントの一室では、その日の夜から、アパートのユニットバスの中で、眠ることになってしまった。
ヴィ―ナスの母は、「どうして、こうなるの?」と顔を覆いながらいった。
小さなヴィーナス。君はこう答えたね。
「だって、外には爆撃があるんだよ」

もちろん君たちの選択は間違っていない。
私だってそうするだろう。
家の中で、もっとも安全な場所を探す。
家の中で、少しでもまともに眠られる場所を探す。
外には、爆撃がある。
窓は割れるかもしれない。家具は倒れるかもしれない。
部屋の中で、何も倒れてこない場所で、窓から少しでも遠い場所で、もっとも固い場所。
バスルームしかなかった。

ヴィーナスよ。
私にできることはなんだろう。
私の國の東北の詩人は、
『東二病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ 西二疲レタ母アレバ』
と歌った。

東にもハリコフはあり、西にもハリコフはある。
東に、病気の子供がいる。
西に疲れた母がいる。
私にできることはなんだろう。

東の空では、空の紺が薄くなり、赤みを帯びてきた。
曙の朝がやってきた。
ヴィーナスは、その明るさの中で姿を静かに消していく。
いつもの朝で、いつもの光景だ。
地球が生まれたときから続くいつもの営みだ。
チンパンジーが木から降り、二足歩行をはじめて類人猿が生まれ、多くの類人猿の中から、ホモサピエンスだけが残り、何万年を経て、今になった。その間も、ヴィーナスは輝き、薄れ、やがて入れ替わるように、太陽が昇ってくる光景は、何億回と繰り返されてきた。
今日もそうだった。
明日も続く、
明後日もそうだろう。
小さなヴィーナスがやがて大人になる。これがいつもの営みだ。
だから、明日はすぐにやってくる。明後日もすぐにやってくる。
明日を迎えなければいけない。
難しくはないはずだった。いつもの営みだからだ。

小さなヴィーナスよ。
生きてく、生きていく。

ヴィーナスよ。
私は知っている。
ヴィーナスが込めた輝きを。
明日こそは、いつもの営みを。

小さなヴィーナスよ。
君にもいつもの営みが、必ずやってくる。
私はそう信じている。
22/03/14 02:33更新 / 城崎 トモ



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