ポエム
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なんか、かっけぇ
始まる前にいろんなことがあった東京五輪。
最初から、どうするかが議論の焦点だと思っていたのに、やめるべきだの、どっちの命が大事だの、アスリートの努力や流した汗と涙をどこかにおいて、政治とマスコミが、肴にしてしまっていた。そんなに美味しいものだろうか。

でも、アスリートたちにブレはなかった。
そこには、4年に一度の舞台があり、目指すゴールがあった。
ブレるはずがなかった。

13年ぶりに復活したソフトボール。
なんてピッチングなんだ。
食い込むストレート。浮き上がるライジングボール。緩急がつきすぎているチェンジアップ。
先発ピッチャーが試合を完璧にコントロールすれば、リリーフしたサウスポーがピンチに動ぜずに、渾身のボールを投げ込んでいく。
バッターのバットは空を切り、もしくは、あっけにとられて見逃していく。
かっけぇ、な。

テーブルテニス。混合の準決勝。
セットカウント2ー2。ポイントカウント2ー9。
11ポイントで終わるこのゲームで、絶対絶命といってもいい危機。
でも、踏ん張った。逃げずにラケットを振り切って、追いつく。そして、サドンデスで勝負をものにした。
この踏ん張りはどこから来るのだろう。
あきらめないというのは、どこから来たのだろう。
かっけぇ、な。

それ以上に思ったことがあった。
ゴールドメダルをとった後で、届いた祝福の届け以外に、そうでもないものも届いた。
きっと、匿名だろう。
やっかみ、妬み、応援していた選手が負けた悔しさ、怒り、やるせなさ。
そういったネガティブなものを勝ったアスリートにぶつけたいのだろう。
その種のメッセージは、受け取ったアスリートのメンタルに配慮されたものではない。傷つくことを狙ったものだから、嫌な表現がたくさんたくさんあるに違いない。
でも、このアスリートは言い放った。
「1ミリもダメージがない」
なんか、かっけぇ、な。

武道館にオリンピックが戻ってきた。57年ぶりだ。
東洋初のIOC委員である加納治五郎氏が見守る中、白と青の柔道着が躍動する。白旗判定がなくなり、サドンデス決着の中で、にじり寄せたメダル。
柔道で日本はメダルラッシュだった。空手では沖縄に初めて金メダルが行った。
かっけぇ、な。

アスリートの活躍は、コロナで寒々していた私たちを心躍らせてくれた。
スイミングの女子個人メドレー。
バタフライ、バックストローク(背泳ぎ)、ブレストストローク(平泳ぎ)、クロールの異なる泳法で競う勝負だ。
400メートルでは、王者の格で、前半でトップに立つと、後半は2位以下を引き離す横綱スイムで、ゴール
ドメダル。
かっけ、かった。
200メートルでは、トップ集団が団子状態で、2位で最後のターン。クロールで隣のレーンのトップスイマーを追い上げて、最後の5メートルで追い抜いて、ゴールドメダル。
めちゃめちゃ、かっけ、かった。

他にもいっぱいあった。
ティーンエンジャーが躍動したスケボー。
魅せた新種目のサーフィン、クライミング。空手。どれもカッコよかった。
復活し念願がかなった野球。
開催枠で出たフェンシング団体。
体操女子の床の個人、輝いていた。
アーチェリーの男子団体のブロンズメダルをかけた最終者の最終射的。10点は絶対で、さらには、相手がとった10点の内側が必要だった。的を見事に射止めた。この集中力。無心の世界を体現した瞬間だった。
ゴルフ女子も銀の栄冠。女子ボクシングもはち切れた。
本命視された競泳、バトミントン、レスリング。思い通りにはならなかった部分もあったのだろうけど、そんな中でのメダルもあった。
合理的で不合理なことだけど、各競技でメダルは3つしかない。国の代表になることは、簡単ではない。代表で戦ったほこりは残っていく。勝っても負けても胸をはればいい。記録は残らないかもしれないけど、記憶は残る。代表選手なんて、そこそこいるものではない。

勝つばかりが、かっけぇ、わけではなかった。
日本が負けた3位決定戦のサッカー。勝ったメキシコメンバーが負けたジャパンメンバーに駆け寄って声をかけていた。
スケボーで果敢に金メダルに向かって挑戦したアスリートがいた。最後の試技だった。無難な技でもメダルは確実だった。でも、彼女は挑戦した。運命は残酷だ。うまくいかなかった。メダルは逃げ水のように、遠ざかった。落ち越むアスリートに駆け寄ったのは、同じ戦いをした仲間だった。肩車をして、そのチャレンジを称えた。

五輪を見ていて、すがすがしかったのは、戦いを終えた後の挨拶だった。
ノーサイド。
勝っても負けてもノーサイド。
お互いの健闘をたたえた祝福。
なんか。かっけぇな

勝負の激闘とは別に、うれしいこともあった。
世界中のアスリートたちから、感謝の言葉が届いた。
「TOKYO だったから、できた」
「ボランティアのOMOTENASHI にありがとう」
「日本のコンビニはなんでもそろってる」
「日本のアイスに感激」
「選手村でのギョウサ、最高!」
 なんか、ちょっと、うれしいな。

競技場に向かうバスに間違って乗ったアスリートがいた。
彼は、陸上競技を実施する国立競技場に向かうはずだった、しかし、行った先は、水泳競技場だった。
常設の運用バスで行っていては、間に合わなかった、
スタッフに相談した。
ルールがあった。特別対応は許されなかった。
でも、相談されたそのスタッフの女性は、ポケットマネーからタクシー代を渡した。タクシーしか間に合わなかった、彼には、タクシー代はなかった。日本に縁があるセルビア出身の彼女は、後悔をしないようにとタクシー代を渡した。悲しいことに、TOKYOの物価は低くない。タクシー代も、安くはなかった。彼女に、難しい気持ちもややこしい気持ちもなかった。アスリートに寄り添う気持ちだけがそこにあった。
普段着で、そういうことができる彼女って、
素敵だな。
彼は、間に合った。
そして、110メートル障害の準決勝を突破した。
翌日のレースで、ゴールドメダルに輝いた。
金メダリストになった彼は、彼女を探した。そして、見つけた彼女に、タクシー代を返し、ゴールドメダルを手にしてもらった。
こういう気持ち。
両者とも、かっけぇ、な。

東京五輪が終わった。
始まる前は、いろいろあったけど、
五輪を、淡々と、粛々と、実施できるって、
なかなか、かっけぇ、じゃん。

五輪が終わって、銀メダルがオークションに出された。
オークションには、メッセージがあった。
「メダルの真の価値は心に留まる。この銀はクローゼットでほこりを被る代わりに、人の命を助けられる」
オークションにかけたポーランドの女子やり投げ選手は、64・61メートルを投げた。66・34メートルについでの投擲だった。彼女には、リオ・オリンピック出場のあと、骨肉腫を患って、そこから復帰をした経験があった。
銀メダルが彼女の胸に輝いて5日後、生後わずか8か月の男の子が、心臓病の手術費用が必要なことを知った。
つなげたのはネットだ。
ネットが世界をつなげてくれた。
オークションで落札した企業は、イカしていた。
メダルを本人に戻し、そのうえで、手術費用の面倒も看るとコミットした。
ポーランドのコンビニ企業だった。
間違いなく、両者とも、かっけえ。

いろんなことがいわれ、コロナで大変なオリンピックだったけど、
間違いなくいえることがある。
オリンピックがなければ、こんな心が通う話は、なかった。
世界はつながっていた。
やっぱ、やってよかった。
そして、日本でよかった。
そう思わせる東京五輪だった。
うん。そう。
やってよかった。

21/09/07 06:56更新 / 城崎 トモ



談話室



■作者メッセージ
東京オリンピック(&パラ)が終わりました。すぐに忘れていってしまうのだろうでしょうけど、忘れたくないものもありました(それもあって、ちょっと長くなりました)。そういう想いを認めたものです。

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