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男が男に惚れるとき
男が男に惚れるとき 城崎 トモ


そんなにたくさんあるわけではないけれど、
男が男に惚れるときがある。
二つのケースがある。
その一つは、
西郷隆盛、足利尊氏、豊臣になる前の羽柴秀吉、
そして、西田敏行。
人柄に惚れてしまうのだ。
大きさに惚れ、やさしさに惚れ、溢れんばかりの
感情に惚れるのだ。

もう一つのケースがある。
その男は、国技館にいた。
春場所、千秋楽の土俵に立っていた。
この日、千鳥ヶ淵の桜は満開だった。

この男の両膝には白いサポーターが痛々しく巻かれていた。
歴戦で負った傷。力士にとって、膝の傷はつきものだ。
この男もまた、膝の痛みで、一度つかんだ頂点の一歩手前から転がった。
落ちた先は、序二段。
大関まで行った男が、序二段まで落ちた。
序二段のこの位置にいるのは、これから伸びていこうとする若者ばかりだ。
ここまで落ちたとき、頭によぎるのことは、それほど多くない。
引退。
相撲取りは誰でも、その宿命を背負う。
身体の限界。気力の限界。
ボロボロになるまでやった男は、引退を考えたはずだ。
しかし、この男は違った。
ここから踏ん張った。
一段づつ。一段づつ。階段を登り始めた。
そして、優勝。二度目だった。
それから、4場所目に、三度目の優勝。
大関への返り咲きが決まった。
男が男に惚れるのは、こういう男だ。

この男に、大関昇進を告げる二度前の使者がやってきたとき、東京に10年ぶりの黄砂がやってきた。
この男の故郷では、多くの砂が巻き上げられていた。まるでお祝いをするかのようだった。
黄砂が海を越えてやってきた。
この男にふさわしいのは、きらびやな何かでなく、大地に積もる黄砂なのかもしれない。

仁王立つ。
不動立つ。
両ひざに、白い包帯があろうとも、この男は堂々と立つ。
草履には、砂が積もっている。
こういう男に、男は惚れるのだ。
21/05/16 07:06更新 / 城崎 トモ



談話室



■作者メッセージ
すでに今場所がはじまって1週間がたちます。この詩は、前回の春場所が終わってすぐに認めたものです。もちろん、照ノ富士が優勝したことに感動してのものです。

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