トーチランナー
トーチランナー 城崎トモ
聖火は往く。
トーチだ。オリンピックの聖火だ。
いよいよはじまるTOKYO五輪だ。
ともしびは、人類の発明品だ。
人間は、地球や他の動物・植物に対して、たいして自慢ができることをしてきてはいないが、火を起こすこと、使うことに関しては、自慢してもいいかもしれない。
人間は、過去から火の持つ魅力に引き付けられてきた。
生肉は焼くことで、味が増し、
サツマイモは、落ち葉の中で焼くと、ホクホクと甘みを増し、
カツオは藁の中でくすぶらせると、独特の風味をつける。
火は人間の食文化の重要な要素である。
ファイヤープレイスは、たき火を指す。
ファイヤーワークは、花火のことだ。
夜の炎は、私たちの心に、多くのロマンを与えてくれる。
ギリシアのオリンポスのヘラ神殿で、聖火の火は灯された。
2020年3月12日。凹版の反射境で集めた太陽光で火は灯された。太陽は人類が出てくる遥かかなたからその光を地球で届けてくれていた。
聖火は、アテネから福島に届いた。
そして、福島から北関東に移り、信州・東海へとつながれる。
多くの人のそれぞれの想いが、ともしびとなって運ばれていく。
ともしびをつないでいくのは、心をつないでいくことでもある。
比叡山延暦寺に、1400年間、つないできたともしびがある。
毎朝、修行僧が、油を継ぎ足して、そのともしびを守ってきた。
油を断ってしまわないように、心を戒める言葉として、『油断』という言葉が生まれた。
私は、聖火に想う。
聖火って、なんだろう。
アニメの世界に、火に魅せられたレジェンドがいる。
レジェンドは、【火の鳥】をライフワークにした。
私が大好きな【火の鳥】の一篇に、火の鳥が持つ不死の血を求める人々の錯綜が描かれている。
アスリートよ。
あなたたちは、このともしびに何を見出すのだろうか。
努力か、根性か。
そうではないだろう。
つないでいく記録とメダル。
そこに刻み込む五輪への渇望にも近い魂だろう。
聖火は往く。
紀伊半島を経て、四国に渡る。
四国には、脈々と続く、巡業のバトンタッチがある。
杖をつき、笠をかぶり、ひたすら歩く。独りではない。その傍には、同行二人の弘法大師がいてくれる。
聖火は、豊後水道を経て、大分にわたる。
九州には、高千穂がある。阿蘇もある。桜島もある。有明海のムツゴロウは干潟のときに顔をのぞかせる。サンゴの海として、人魚マナフィがさざなむ沖縄もある。
聖火は、九州を巡ったあと、関門海峡を渡る、
季節は、ソメイヨシノにあふれていく。
聖火は、桜前線の跡を追いかけ、やがて、サクラ吹雪を追いかける。
日本海を北上していく。
アスリート達よ。
君たちの舞台に、この聖火はつないでいこうとしている。
私の好きな【火の鳥】には、神話の時代から源平時代、戦国時代、現代、さらに宇宙の時代まで、あらゆる時代が描かれている。貫かれているテーマの一つは、輪廻転生である。
輪廻転生は、生のバトンタッチだ。
【火の鳥】の血を飲むと、不死を得られると描かれている。その伝説があったから、卑弥呼も平清盛も、その血を所望した、と描かれた。でも、それは叶わない。そもそも、不死はありえないのだ。
しかし、叶う人も描かれている。でも不老になるわけでもなく、身体そのものは消滅するようにも描かれている。魂が不死なのだ。
やがて、聖火は、津軽海峡を渡る。
海鳴りとフェリーとカモメと、本マグロの津軽海峡だ。
聖火は、北海道を巡ったあと、もう一度、津軽海峡を渡り、三陸海岸にやってくる。
『復興』は、東京五輪のテーマの一つだ。
あの地震と津波から、10年目になる。
でも、私はあえていいたい。
『復活』のほうがテーマとしてはふさわしい。
10年という一区切りを経て、三陸海岸は復活していく。
聖火は、いぶきだ。
いぶきは、復活の街々を通り過ぎてゆく。
岩手に生まれた詩人は、生きるためのメッセージを私たちに残してくれた。
「雨ニモ負ケズ 風ニモ負ケズ 風ニモ 夏ノ暑サニモ負ケヌ
丈夫ナ身体ヲ持チ 欲ハナク 決シテ怒ラズ
イツモ静カニ笑ッテル ・・・・」(※)
鍛え抜かれた身体能力を持つアスリートたちよ。
研ぎ澄まされた精神の頂点を見せてほしい。
それが生きていくための現代のメッセージとなる。
聖火は、東西に長く、南北に満ちた日本列島を駆け巡る。
コロナで聖火をやめた都市がある。
いたし方のないことだ。
でも、聖火は魂のバトンタッチだ。魂は、間違いなくバトンタッチされていく。
コロナ騒ぎで、不思議なことが起こった。
一年、開催が遅れたのだ。史上初めてのことだ。こんなことは、そんなにないだろう。
でも、何の問題もない。
聖火はつながれていくことが大事なのだ。そして、一年の遅れに幸運もある。
1年の時空を味方につけて、復活する人がいる。
私は聖火に想う。
一年の延期も、また、輪廻転生の1ページにあっては小さなものだと。
聖火はやがて、東京五輪の夢舞台である神奈川、千葉、茨城、埼玉、そして東京にはいる。
そうやって、聖火は、アスリートにバトンタッチされていく。
岩手の詩人はその詩の中で、最後にこうつづった。
『日照リノトキハ涙ヲ流シ、寒サノ夏ハオロオロ歩キ皆ニデクノボート呼
バレ誉メラレモセズ苦ニモサラズ ソウイウ者ニ私ハナリタイ』(※)
『火の鳥』では、つないでいく魂の生きざまを教えられた。
聖火の魂は、オリンピックの舞台へとバトンタッチされる。
アスリートたちの戦いが始まる。
2021年に開催される『東京五輪2020』。
トーチのクライマックスは、会場に添えられた聖火台への点火だ。
思えば、バルセロナオリンピックで、アーチェリー選手が放った矢で聖火がともったこともあった。アトランタでは、伝説のボクサー、モハメド・アリが点火をおこなった。
派手な演出になるのか、そうでないのかはわからない。
地味でもいい。
でも、アスリートたちに優しく、そして、奮い立たせるような炎であってほしい。
炎は、満ち溢れる空に向かって、駆け上がっていく。
トーチよ。
ほとばしるアスリートの魂と汗を輝かせよ!
それが、コロナごときに負けぬ輝かしいシンボルとなるはずだ。
※宮沢賢治『雨ニモ負ケズ』より引用
聖火は往く。
トーチだ。オリンピックの聖火だ。
いよいよはじまるTOKYO五輪だ。
ともしびは、人類の発明品だ。
人間は、地球や他の動物・植物に対して、たいして自慢ができることをしてきてはいないが、火を起こすこと、使うことに関しては、自慢してもいいかもしれない。
人間は、過去から火の持つ魅力に引き付けられてきた。
生肉は焼くことで、味が増し、
サツマイモは、落ち葉の中で焼くと、ホクホクと甘みを増し、
カツオは藁の中でくすぶらせると、独特の風味をつける。
火は人間の食文化の重要な要素である。
ファイヤープレイスは、たき火を指す。
ファイヤーワークは、花火のことだ。
夜の炎は、私たちの心に、多くのロマンを与えてくれる。
ギリシアのオリンポスのヘラ神殿で、聖火の火は灯された。
2020年3月12日。凹版の反射境で集めた太陽光で火は灯された。太陽は人類が出てくる遥かかなたからその光を地球で届けてくれていた。
聖火は、アテネから福島に届いた。
そして、福島から北関東に移り、信州・東海へとつながれる。
多くの人のそれぞれの想いが、ともしびとなって運ばれていく。
ともしびをつないでいくのは、心をつないでいくことでもある。
比叡山延暦寺に、1400年間、つないできたともしびがある。
毎朝、修行僧が、油を継ぎ足して、そのともしびを守ってきた。
油を断ってしまわないように、心を戒める言葉として、『油断』という言葉が生まれた。
私は、聖火に想う。
聖火って、なんだろう。
アニメの世界に、火に魅せられたレジェンドがいる。
レジェンドは、【火の鳥】をライフワークにした。
私が大好きな【火の鳥】の一篇に、火の鳥が持つ不死の血を求める人々の錯綜が描かれている。
アスリートよ。
あなたたちは、このともしびに何を見出すのだろうか。
努力か、根性か。
そうではないだろう。
つないでいく記録とメダル。
そこに刻み込む五輪への渇望にも近い魂だろう。
聖火は往く。
紀伊半島を経て、四国に渡る。
四国には、脈々と続く、巡業のバトンタッチがある。
杖をつき、笠をかぶり、ひたすら歩く。独りではない。その傍には、同行二人の弘法大師がいてくれる。
聖火は、豊後水道を経て、大分にわたる。
九州には、高千穂がある。阿蘇もある。桜島もある。有明海のムツゴロウは干潟のときに顔をのぞかせる。サンゴの海として、人魚マナフィがさざなむ沖縄もある。
聖火は、九州を巡ったあと、関門海峡を渡る、
季節は、ソメイヨシノにあふれていく。
聖火は、桜前線の跡を追いかけ、やがて、サクラ吹雪を追いかける。
日本海を北上していく。
アスリート達よ。
君たちの舞台に、この聖火はつないでいこうとしている。
私の好きな【火の鳥】には、神話の時代から源平時代、戦国時代、現代、さらに宇宙の時代まで、あらゆる時代が描かれている。貫かれているテーマの一つは、輪廻転生である。
輪廻転生は、生のバトンタッチだ。
【火の鳥】の血を飲むと、不死を得られると描かれている。その伝説があったから、卑弥呼も平清盛も、その血を所望した、と描かれた。でも、それは叶わない。そもそも、不死はありえないのだ。
しかし、叶う人も描かれている。でも不老になるわけでもなく、身体そのものは消滅するようにも描かれている。魂が不死なのだ。
やがて、聖火は、津軽海峡を渡る。
海鳴りとフェリーとカモメと、本マグロの津軽海峡だ。
聖火は、北海道を巡ったあと、もう一度、津軽海峡を渡り、三陸海岸にやってくる。
『復興』は、東京五輪のテーマの一つだ。
あの地震と津波から、10年目になる。
でも、私はあえていいたい。
『復活』のほうがテーマとしてはふさわしい。
10年という一区切りを経て、三陸海岸は復活していく。
聖火は、いぶきだ。
いぶきは、復活の街々を通り過ぎてゆく。
岩手に生まれた詩人は、生きるためのメッセージを私たちに残してくれた。
「雨ニモ負ケズ 風ニモ負ケズ 風ニモ 夏ノ暑サニモ負ケヌ
丈夫ナ身体ヲ持チ 欲ハナク 決シテ怒ラズ
イツモ静カニ笑ッテル ・・・・」(※)
鍛え抜かれた身体能力を持つアスリートたちよ。
研ぎ澄まされた精神の頂点を見せてほしい。
それが生きていくための現代のメッセージとなる。
聖火は、東西に長く、南北に満ちた日本列島を駆け巡る。
コロナで聖火をやめた都市がある。
いたし方のないことだ。
でも、聖火は魂のバトンタッチだ。魂は、間違いなくバトンタッチされていく。
コロナ騒ぎで、不思議なことが起こった。
一年、開催が遅れたのだ。史上初めてのことだ。こんなことは、そんなにないだろう。
でも、何の問題もない。
聖火はつながれていくことが大事なのだ。そして、一年の遅れに幸運もある。
1年の時空を味方につけて、復活する人がいる。
私は聖火に想う。
一年の延期も、また、輪廻転生の1ページにあっては小さなものだと。
聖火はやがて、東京五輪の夢舞台である神奈川、千葉、茨城、埼玉、そして東京にはいる。
そうやって、聖火は、アスリートにバトンタッチされていく。
岩手の詩人はその詩の中で、最後にこうつづった。
『日照リノトキハ涙ヲ流シ、寒サノ夏ハオロオロ歩キ皆ニデクノボート呼
バレ誉メラレモセズ苦ニモサラズ ソウイウ者ニ私ハナリタイ』(※)
『火の鳥』では、つないでいく魂の生きざまを教えられた。
聖火の魂は、オリンピックの舞台へとバトンタッチされる。
アスリートたちの戦いが始まる。
2021年に開催される『東京五輪2020』。
トーチのクライマックスは、会場に添えられた聖火台への点火だ。
思えば、バルセロナオリンピックで、アーチェリー選手が放った矢で聖火がともったこともあった。アトランタでは、伝説のボクサー、モハメド・アリが点火をおこなった。
派手な演出になるのか、そうでないのかはわからない。
地味でもいい。
でも、アスリートたちに優しく、そして、奮い立たせるような炎であってほしい。
炎は、満ち溢れる空に向かって、駆け上がっていく。
トーチよ。
ほとばしるアスリートの魂と汗を輝かせよ!
それが、コロナごときに負けぬ輝かしいシンボルとなるはずだ。
※宮沢賢治『雨ニモ負ケズ』より引用