抽象のひとびと
私はこの呆れるほどに長たらしい生の中でこれまた夥しい程のろくでなしを見てきた。彼らは一様に阿呆であり稚拙でもあった。彼らは抽象の世界にいた。
寓意は象徴でもあり抽象でもある。あえて私が彼らを示す言葉を選ぶのであれば、彼らは川辺の石ころである。それらは生を受け、川を流れ、摩耗し、より真円に近い形をとる。その石ころ共が産み落とす影は、猫も杓子も真円である。
彼らはひとを愛し、物を愛し、退屈を生きている。そこにあるのは偽物の交わりと、性的衝動のみである。私は川の流れに抗っていたかった。いつまでも私たる私を生きていたかった。そんな虻蜂取らずでこれまた阿呆な私を尻目に彼らは今日も流れ続ける。
彼らは抽象の世界の住人だった。
寓意は象徴でもあり抽象でもある。あえて私が彼らを示す言葉を選ぶのであれば、彼らは川辺の石ころである。それらは生を受け、川を流れ、摩耗し、より真円に近い形をとる。その石ころ共が産み落とす影は、猫も杓子も真円である。
彼らはひとを愛し、物を愛し、退屈を生きている。そこにあるのは偽物の交わりと、性的衝動のみである。私は川の流れに抗っていたかった。いつまでも私たる私を生きていたかった。そんな虻蜂取らずでこれまた阿呆な私を尻目に彼らは今日も流れ続ける。
彼らは抽象の世界の住人だった。