悪意について
僕らは悪意を忌み嫌う
それはある種の道徳観故だ。
しかし今や一つの悪意が
幾千、幾万の正義という名の暴力にもなって跳ね返ってくる時代だ。
ある人が悪意に対し批判を行う時
幾多もの同志が同様の正義による犯行を行なっているとは
考えもしない。
結果、その人がその悪意によって
受けるべき罰を受けることになったのだろうか。
それともそれ以上の罰を受けることになったのだろうか。
果たしてその数多の正義が正しかったと言える
結末になったのだろうか。
逆に問うことができる
僕らは個人個人それほど清廉潔白に生きてこれたのか
意識していないだけで
悪意がないだけで
胸を張れるほどのこれまでだったのか
何が正しいかわからない
だったら何が正しいわからないからこそ
僕らのすべきことを
感情に直結せずにもう少し思慮深く
想像力をもって生きていかなければならない
それはある種の道徳観故だ。
しかし今や一つの悪意が
幾千、幾万の正義という名の暴力にもなって跳ね返ってくる時代だ。
ある人が悪意に対し批判を行う時
幾多もの同志が同様の正義による犯行を行なっているとは
考えもしない。
結果、その人がその悪意によって
受けるべき罰を受けることになったのだろうか。
それともそれ以上の罰を受けることになったのだろうか。
果たしてその数多の正義が正しかったと言える
結末になったのだろうか。
逆に問うことができる
僕らは個人個人それほど清廉潔白に生きてこれたのか
意識していないだけで
悪意がないだけで
胸を張れるほどのこれまでだったのか
何が正しいかわからない
だったら何が正しいわからないからこそ
僕らのすべきことを
感情に直結せずにもう少し思慮深く
想像力をもって生きていかなければならない