ポエム
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シーオーツー
ぼくが知っている言葉もきみが使えば知らない言葉だ。

きみの言葉はきみが何千何万回もの呼吸のなかで吐き出しては吸い込んで、きみの世界をつくってきたものだから。

ぼくの二酸化炭素が決して酸素にはならないように、きみの二酸化炭素もそのままで、捨てられるぼくらの死ぬほどどうでもよくて、死ぬほどしょうもない日々のような、そのままで、ただそのままなんだ。

ありとあらゆる生き物が死んで土に溶けて海に溶けて上がって空に、って。だから、きみやぼくやかれやかのじょもみんな腐葉土になるんだって。

いずれは。

じゃあ、それはいつなんだろう?って不安で胸がおしつぶされそうになるきみの夜も、また行かなくちゃって、死にたくなるきみの朝だとか、そんなふうに感情や考えがきみの頭のなかであっちこっち歩いている時間も、全部同じ方向に向かっているんだよ。

不思議じゃない?

ぼくらは言葉では決して互いを抱きしめ合うことなんてできないのに、遠くで歩いている人たちに平気な顔で死ねってつぶやけるのに、きみの見ている景色もぼくが見ている景色も永遠に重なることなんてないのに、終わりはみんないっしょなんだ。

ぼくらはそのときになって、死んでからはじめておんなじになれて、はじめて真実のおはようだとか、こんにちはだとか、ありがとうだとか、さようならだとかが言えるのかもしれない。

でも、死んでしまったら、ぼくたちからは酸素も呼吸も、不安で胸がおしつぶされそうになる夜も、死にたくなる朝も全部なくなってしまう。

残念だね、残酷だね、だから美しいね。

嘘だよ。

どんな言葉だって平気で吐ける、生きていればどうだっていいんだ。

美人や天才や病人の吐き出した言葉が綺麗に美しく輝いて映るのはなんでなんだろうね?どうして不美人や凡才や健常者の言葉は無色透明なんだろうね?
わかんないか、わかんないよ。

全然ちっとも笑っていないのにスマホやディスプレイで(笑)だとか草を生やしたりして、ぼくらはずいぶんと器用になったね。

愛想笑いするときには体力が必要でとっても表情筋が死んでしまいそうなくらい痛むから、今もぼくらはずいぶんと不器用なままだね。

嘘つき、嘘つきだよ、曖昧だよ、わかんないよ。

終わりだけがはっきりしているんだよ。

いつだって、きみだって、かれだって、かのじょだって、ぼくだって、持ってる。

死だけは平等にぼくらに与えられている。

たぶんきっと、ぼくのかなしみやきみのよろこびやみんなのゆううつなんかも、みんなみんな死へのラブレターなんだろうね。

それだけはみんなおんなじだから、ぼくらは重なり合うことのない、抱きしめ合うことのない、言葉と言葉を交わすことができる。

その言葉は決して酸素にはならなくて、でも二酸化炭素だから、きみが死にたくなる朝の通学路で歩いたアスファルトの上の雑草だとか、ぼくがかなしくなって隠れた森の木々だとか、に全部吸い込まれていって、酸素に、ぼくらの呼吸に、ぼくらの言葉に変換されるんだよ。

そして、変換された言葉がマンガの吹き出しみたいにきみの世界に枠をつくって、使い捨てコンタクトレンズみたいによく見えるようにする。

日々を、世界を、ぼくら自身を。

……違うかな、違うよ。

……ねぇ。

きみは……ぼくがこんな言葉を吐くとき、いったいどんな顔で呼吸しているの?

どんな思いで呼吸しているの?

どんなふうに呼吸しているの?

きみの朝の通学路には、どれだけ歩いても永遠にぼくはたどり着けない。
16/10/31 23:49更新 / 黒須らいちゅう



談話室



■作者メッセージ
ときにぼくは窒息しそうになる。

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