生きたい
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春くん [MAIL] 21/12/17 02:55 評価:とても良かった!
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そんなもんですよね。 そもそもなんでここにいるかも分からないのに、生と死に関して正しいと分かることなんて本当はほとんど何もない。 モラルとか当たり前とかそれは都合がいいだけのもの。 でも人間にとって辛いという感情はできるだけ避けなければ生きていけないから人間の暗黙のルールとしてモラルとか当たり前ができて生きているだけ。 他の動物と、生と死に関しての認識はきっと多分ほとんど変わりない。 これは生物としての基礎なのかも。 だけど賢いから人間というつるみでここまでこれてるんだと思う。 だから人間お互い同情し合って生きてるけどやっぱり、自分が辛いと思った時は辛い。 辛くなくても基礎的な自分達のこと知らないから、それぞれがそれぞれに分からなくなるのは当然だと思う。 それは普通に他の人への同情では気持ちは変わらない。 でも見方を変えたり、テンションを変えたり、考え方を変えたり、無駄なプライドを捨てたりする事で、確かに幸せを感じたり、不幸だと思わなくなったりする。幸せのレベルが低くなるって考え方する人もいるけど、幸せにレベルもクソもない。幸せと思えたならきっと幸せ。まあ自分でそれを幸せだと偽装してしまっている人は幸せじゃないかもしれないけど。 人はお互いに傷つけ合わずにお互いがそれぞれの前にあることに幸せを感じられたらいいですね。 ま、そんなもんですよね〜。 ついつい耽りたくなる詩を見てしまったので書き過ぎてしまいました。すみません。 すず 21/12/17 06:17
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春くん 様 ご評価ありがとうございます 幸 21/12/17 08:34
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すず 様 長文でも全く構いません ご感想ありがとうございます 私はよく正しさや間違いといった自己哲学、死生観、正負の側面等を題材に詩を書きますが正直、そのどれもに正しさも間違いもを見出だしてはいません 当たり前、常識、当然、普通などの判断はただの多数決に過ぎませんし、モラルという言葉も他人に守らせる前提に自己の都合を整えようという使われ方ばかりしているようにも見えます 物事の取り決めにあたって、ただ不満を少なく抑える「方法」でしかないはずの多数決が思考停止の果てに無条件に正しさを証明するような風潮になってしまって、少数派だからという理由だけで排斥と攻撃を受ける方々が多数いるという矛盾した昨今には心底うんざりもしています 勿論そんなひねくれた方々ばかりではないですし、他者に対する厳しさ以上に自己を厳しく戒めている方々もいらっしゃいますが すず様の仰有るとおり、生死の辿り方にこれといった決められた形なんてモノはないでしょう 個々で自分の生かし方と死に方、幸せと不幸を自分の理想に合わせて作り上げるだけ それをただ自分の為だけに活かせていればそれだけで平和な筈なんです なのにそれをこの世の理想の様に謳い、他者と自分が違う人生を送っている事を忘れて押し付け合ってしまう 小さな共通点一つで多数派と少数派に無理矢理整えて、それに準ずる事が出来なかった人達は別に死にたくなんてないのに、押し付けられる理想を生きれない自分は生きる資格が無いのかもしれないと、産まれてくるべきでは無かったのかもしれないと死んでいってしまう 人は究極的には一人です 家族であっても最終的には他人です 辛い時は自分が辛いんです 幸せな時も自分が幸せなんです 生きたい自分も死にたい自分も、自分のモノなんです それを他者の理想に決め付けられ、押し付けられ、歪められるなんてナンセンスです 正しさは必ずしも人の心を救うものではありませんから 長くなった上にちゃんとした返信になっているか分かりません この手の話題はどうにも熱くなってしまい、申し訳無いです ご感想どうもありがとうございました 幸 21/12/17 09:14
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とま 21/12/17 11:33 評価:とても良かった!
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死ぬのが怖いのは よいことだと、、 思います。。。。 そして、正しいだけ では伝わらないって よく言いますネ★// 木内のり 21/12/17 17:54 評価:とても良かった!
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とま 様 ご評価ありがとうございます 幸 21/12/18 00:12
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木内のり 様 ご評価、ご評価ありがとうございます 死をしっかり怖れて、必死に生きようとする姿は軽々しく否定できるモノでもない 潔い死を美徳とする時代ではなくなった、それは喜ばしいことかもしれませんね 間違っていてもいいという訳ではありませんが、正しいだけの言葉でも良いという訳でもない 生きるとは難しいモノです 幸 21/12/18 00:17
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