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死にたいあの子
私の知っている死にたいあの子は、産まれた時から、

自分で身体を動かせません。
起き上がることも食事や排泄も
もちろん、自分で、死ぬことすらできません。
ずっとお母さんが、そばにいて、あの子のお世話をしてくれていたのだけど、

そのお母さんが、数年前に、他界。在宅ヘルパーさんが、お世話をしてくれるようにようになりました。でも、ヘルパーさんは、家族では、ありません。お母さんのようには、あの子の気持ちをわかってはくれません。みんながいい人でもありません。

死にたいあの子は、一生懸命に、自分の気持ちを伝えようとしますが、ちゃんと発音ができていないから、何を言ってるのかわからないと片づけられてしまいます。
それでもあの子は、ヘルパーさんたちに文句を言いません。自分が、何かを言うと大騒ぎになってしまうことを知っているからです。あの子を支えている周囲の方々が、大勢集まってきて会議を開いてしまいます。だから、いつも言いたいことをかみ殺して、どう介助をしてほしいのかを自分で考えようとしています。自分の事だけど、介護の専門家では、ないので、介護計画の事などわかりません。
毎日、毎日、もどかしい気持ちが積み重なって、死にたい気持ちがいっぱいになっていきます。大好きなピンク色の洋服を着ている時も髪を結って、リボンをつけてもらっている時も。
ある日、デイサービスから帰って行こうとしていた時、責任者の介護士さんに「また来週、元気でお会いしましょうね」と声をかけられ、死にたいあの子は、「それはまだわかりません」と答えてしまっていたので、私は、こっそり笑い、「私達は、いつどうなるかわからないし、早くあの世からのお迎えが来てほしいとさえ思ってるのですから」と加勢してみた。
すると責任者の介護士さんは、大袈裟に私の背中をさすり、「そんなことを言わないで、お待ちしてますから」と満面の作り笑いで、私達を見送ってくれた。「いつもお2人がお話している姿を見てると女子話をされてるみたいで、ほほえましいです」そんなお世辞も忘れない。私達は、苦笑いをする。
どう考えても、私達の会話は、女子話とは、ほど遠いのだから。心ないヘルパーさんや入院していた病院のひどすぎる実情。なぜいつも歌わされる歌は、上を向いて歩こうや明日があるさなど、前向きになれそうな歌なのかどれだけ死にたい気持ちで暮らしているのかを話している。私は、週に1回デイサービスで話をするだけで、まだ友達にまではなれていないけれど、気楽に本音で話せる話相手くらいには、なれているといいと思う。死にたいあの子は、明日も死にたい気持ちを抱えたまま生きていくのだと思います。私は、それでいいと思います。せめて、あの子の邪魔はしません。
また来週お話できるといいなあ。



。。


20/07/19 11:41更新 / ポロンミミ



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