ポエム
[TOP]
夏休み
子供の頃、
夏休みは、いつも
母親の里
徳島県鳴門市の
祖父母の家で、過ごしていました。

夏休みに入るとすぐに、
母に船着き場まで、送ってもらい、
船の中は、2才上の姉とふたりで過ごす冒険でした。
船が海を渡り、船着き場に到着をすると
背広を着て帽子をかぶった祖父が迎えに来てくれていました。
1年ぶりの祖父との再会と
子供だけで無事に船旅を終えた安堵感。
涙があふれてしまいそうな胸からこみ上げるものがありました。
電車やバスを乗り継ぎ、鳴門の家へ。
外門を開けて立派な木造の中門を開けると



走り回って遊べる広い庭が広がっています。


数本のもちの木やびわの木が植えてあり、セミの大合唱が響きます。


祖父が、毎日丁寧に手入れをしている花檀やぶどう棚、とうもろこし。
井戸もありました。古井戸はもう、使われておらず、フタがしてありましたけれど、


新しい方の井戸には、大抵スイカをロープで結び、冷やしてくれていました。
引き上げる時に、
小学生でまだ小さかった私達は、見なくてもいいのに、
わざわざ井戸の底をのぞきこみます。
深く深く続く井戸の底は、怖ろしくて、
カラダが、ガクガク震えました。
面白がって、小石をひとつ落としてみます。
カーン!高い音をたてて、
小石が、奈落の底へ
吸い込まれていきます。
うわああっ!

なんとか気持ちを落ち着かせて、
大きなスイカを抱え、
祖母のいる台所へ運びます。
包丁で
祖母が、スイカを数等分に切り、

大きな長方形のお盆の上に次々と並べていきます。
その間に私達はよそ行の洋服から、汚しても良い部屋着に着替えて、そのお盆を縁側へと運び、
祖父母と私達姉妹が、
横並びに縁側に座り、
スイカに、かぶりつきます。
お皿もフォークもスプーンなんて使いません。
口の周りを汚しながら、スイカの種は、
プップップッ!と
縁側から、庭へ吹き飛ばします。
大阪の自宅では絶対に許されない
夏休みならではの自由さがたまらなく楽しく感じました。

時々、買い物のお手伝いで近所のお店へ、
祖母の買い物かごを腕にさげて、
一人で、買い物に行きました。

祖父は、昔、小学校の校長先生だったこともあり、
校長先生のお孫さんとして、どの店へ行っても喜んで頂けました。
大阪から、よう来て下さった!
八百屋さんのおじさんは、私のさげているかいものかごへ
購入をした野菜と一緒に、大きな桃やブドウも入れてくれます。
困ります!そんなに頂けません!祖父母に、叱られますから!
私がいくら拒絶をしても、店のおじさんは、力づくで、入れてくれます。
仕方ないので、そのまま持って帰ります。
でも家へ帰ると

祖母が
人様から、タダでものをもらったらいかん!
どんならん!と叱ります。
文房具屋さんへノートを買いに行くと
包んでくれた袋に、新しい鉛筆や消しゴムを入れてくれてあります。
これも、どんならん!と叱られました。
私は、母似で、祖母にもよく似ていましたから、

町の方々は、とくに目を細めて喜んで下さっていました。
祖父が時間のある時には、海水浴にも、連れて行ってもらいました。
祖父は、遠泳ができるほど、泳ぎが達者でしたから、
浮き輪も使わずに、祖父のカラダにつかまると
スピードを上げて海を泳げて楽しかったです。
砂浜で、姉と山を作って、トンネルを掘りました。砂をすくうと時折
小さなカニが飛び出てきました。

じりじりと照りつける夏の日差しを浴びながら、
今年も皮膚がむけて、背中や腕が痛くなる覚悟をしていました。
庭で、虫網と虫カゴをもってセミ採りをしたり、幼少期に買ってもらった古い三輪車で遊んだリ、クロと名付けられた中型犬も良い遊び相手になってくれていました。
庭中を探してセミの抜け殻も山ほど集めました。
低い場所にはえている植物の葉の裏や井戸のフチ。
毎日朝と夕方に、祖父と一緒に、庭の落ち葉を拾って回り、
夕方には、家中の紙くずを集めて枯れ葉と一緒に、燃やして
お風呂をたきました。当時はまだ五右衛門風呂でした。

祖父が入れてくれてはいましたけど、
大きな石釜に、底敷を入れて入ることは、まだカラダの小さかった私にとっては、とても怖くて、困難でした。
洗濯機もまだなくて、
祖母が大きなたらいに、洗濯ものを入れて、洗濯板を使って洗っていました。
私のお手伝いは、たらいの中に裸足で入り、洗濯物を踏むことでした。
脱水機がありませんでしたから、祖母が洗濯物をしぼることが大変そうでした。
庭に干していましたから、水がしたたり落ちても良いのですけど、
しっかりしぼっておかないとちゃんとかわきませんから。
昔の洗濯は
、重労働で、時間がかかりました。
夏休み中でしたから、よく台風が来ました。
祖父が屋根に上って、天戸に板を打ち付けたり、
祖母は、買い物へ行けないからと
炊き立てご飯で、おにぎりを握ってくれました。
私は、おにぎりに、のりを巻くお手伝いをしながら、
たきたてご飯が熱くて、ヒーヒ―!握っている祖母の手はすごいなあと
どうなっているのかと不思議に思っていました。
停電をしてしまい、ろうそくの火を囲んでみんなで食べるおにぎりは、

おいしくて、ワクワクしました。テレビが、台風が上陸をして、
台風の目が来ると報道をしていました。
どんな目の妖怪が来るのかと怖がっていると祖父がわざと台風の目は恐ろしいと話をして怖がらせて来ました。
阿波踊りの時期になると昼間でも町のあちらこちらで、踊っている人達を見かけました。そもそも昔は観客席などなくて、町中の人達が街の通りを踊り歩いていました。住人みんなが踊り手でした。阿波踊りが終わると鳴門市主催の花火大会がありました。祖母に浴衣を着せてもらい、みんなで、空き地へ見に行きました。履き慣れない下駄をカタカタと鳴らしながら、浴衣を着て歩きました。
短い髪に大きな花の髪飾りをつけてもらって誇らしく、
すっかり大人の女性気分です。
その頃には、大阪から母が迎えに来ていました。
1か月ほど祖父母に甘やかされて過ごしていましたから、
私は、すっかりゴン太に仕上がっており、
いつも母に、雷を落とされていました。

すると祖父が私をおんぶして、
私が泣き止むまで、
庭を歩いてくれました。
ミミは、いい子、じいちゃんの子。ミミはいい子、じいちゃんの子。

大きい背中に体重を預けて祖父の声を背中越しに聞いていると
安心をして、気持ちが落ち着いていきました。
あの頃、祖父母から無償の愛をたっぷり注いでもらったおかげで、
その後の人生を胸を張って、生きてこられたような気がしています。

おじいちゃん、おばあちゃん、ありがとうございました。
祖父母は、瀬戸大橋ができることをとても楽しみにしていましたけれど、
残念ながら、完成を見る前に、二人とも旅立ちました。


























23/09/20 10:06更新 / ポロンミミ



談話室



■作者メッセージ
書こうと思っているうちに、夏が終わってしまいました。
来年にしようかとも考えましたけれど、夏の気配があるうちに書きました。

TOP | 感想 | メール登録


まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.35c