義理の息子
別れた元旦那様とは、友人の結婚式で、出会いました。
その日から、アプロ―チをされていましたけど、私は、当時仕事が忙しくて、
食事のお誘いを断り続けていました。残業をしていると会社にまで、電話をしきていました。どうしてもと何度もしつこく誘ってくるので、1回くらいならと食事に行くことにしました。すると、
「結婚を前提に付き合ってください」と頭を下げて交際を申し込まれました。何となく、かかわらない方が良い気がしたので、すぐに、お断わりをしました。でも、よく話を聞いてみると離婚をして、子供を引き取り、一人で、育てていると言いますから、「じゃあ、その子供は、今、私と出会っているこの時間はどうしているの?」と質問。「託児所に預けてきた」と言います。それは、おかしい!と思ったので、一緒に、託児所に迎えに行く事にしました。3歳の男の子でした。手を繋いで歩いてみた瞬間、なぜかビビッと運命的なものを感じました。その頃、元旦那様は、出張続きで、ほとんど子供は、託児所に預けっぱなしになっていると聞いて、私が彼らの自宅へ行き、子供の世話をすることにしました。一人暮らしをしていた部屋には帰宅をせずに、会社帰りに、託児所へ迎えに行く日々が始まりました。仕事の書類を持ち帰りながらのお迎えでした。子供をおんぶしようとしても、普段おんぶの習慣がなかったようで、背中に収まってくれません。仕方なく、重たい書類のカバンをぶら下げた腕で、抱っこをして、電車で、1駅分の道を歩いて帰っていました。歌を歌いながら、時々、道に、ありを見つけては、立ち止まります。私が、歩くように!と促すと「ミミちゃんは、もう、アリさんとお話しをしなくなったの?」と言います。子供の心を持ち続けていたいと願う私の気持ちが揺るぎます。
早く帰宅をして、寝かしつけて仕事がしたくて、気持ちがあせります。なんとか自宅に到着をするとお風呂を沸かし、洗濯機を回しながらの食事作りです。3歳の子供に、どんな料理を作ればいいのかしら?初めて二人で過ごすことになった日には「食べたいものとかない?」と聞いてみましたら、元気よく「フライパン!」と答えました。なんのことかわらなかったですけど、冷蔵庫に玉子があったので、オムライスを作り、ケチャップで、顔を描いたら、キャッキャッと喜んで、ペロッと食べてくれました。後日、フライパン!は、ホットキーキの事だったとわかりました。食事後は、一緒に、お風呂です。湯船につかりながらのおままごとが始まります。子供がドリンクを作っては、私に、出してくれるので、飲む真似をしては、「ああ、おいしかった!」と私が言います。するとキャッキャッと喜んで、次々とドリンクを出してきます。眠りそうになりながらもそのおままごとは、永遠に繰り返されます。お片付けの歌を歌い、なんとかお風呂から上がり、歯磨きをさせてから布団へ移動。次は、絵本の読み聞かせです。落ち着いたころ合いで、歌を歌いながら、カラダをトントンして、寝かしつけます。寝息が聞こえてきたら、そーっと私だけ布団から抜け出して、キッチンにある食卓で、持ち帰った仕事にとりかかります。
でも、幼稚園の帳面が気になったり、翌日の持ち物を用意したり、洗濯物を干したりとなかなか仕事に集中できません。油断していると子供が起き上がって来てしまいます。疲れていましたけど、不思議と心地良い疲れでした。元旦那様は、出張に出かけると1か月ほど帰宅してきませんでした。そんなある朝、幼稚園に出かける準備をしていた子供が、突然、直立不動になり、大きな声で、「ミミちゃん、僕のお母さんになって!」と言ってくれました。まだ3歳の小さな子供が耳まで真っ赤にさせて、精一杯訴えてきた姿がいじらしくて、キュンとしました。大人の私が何とかしてあげなくてはと思い、母親になる決心をしました。でも、子供の母親になるためには、父親と結婚をしなくてはいけませんから、かなり悩みました。両親は反対をしてくれました。考えに考えた末、男性としては、受け入れられなくても、一緒に暮らしていく中で、子供の父親としてなら、受け入れられるようになると考えて入籍。身内だけの結婚式を挙げて、披露宴はしませんでした。実家の母が、大風呂敷を広げたら畳む時が大変でしょう?と言っていました。実家の両親には、元旦那様の事を×1と話していましたけど、実はすでに、×2でした。本人は、どちらも円満離婚だと話していましたけど、ちょっとしたことで、怒鳴り散らし、暴力を奮う人でしたから、どうだか。出会った時、子供のカラダにも、アザが沢山ありました。一緒に暮らすようになったある夜、元旦那様が、子供を怒鳴っているなと思って居ましたら、冬なのに、お風呂場へ連れて行きシャワーで水をかけ始めたので、私が、止めに入りました。元旦那様は「止めるな―!これ以上殴るとコイツを殺してしまうから、水をかけるんだ―!」と叫んでいました。私は異常だと思いました。ずっと後になってから、息子の発達障害のADHD(注意欠陥多動性障害))を疑って、治療法はないですが、発達障害と診断のできる医師の診察へ3人で、行った時、「息子さんは、違いますけど、ご主人は、明らかにそうですね。と言われましたから、暴力を奮っていた事やお金にルーズだった事は行為障害が出ていたのだと思いました。私も髪をつかまれて、廊下をひきずられた事がありました。怒鳴り散らして、「出て行け!」と言うので、そのままま出て行き、近くのビジネスホテルに宿泊をして、翌朝帰宅をしてみると仁王立ちをして、「どこに行ってたんだ?」と怒っていました。自分が追い出した記憶がないようでした。元旦那様は、私に複数の男性がいると思い込んでもいました。私の携帯に届くメールを業者に依頼して、自分の携帯に届くように設定もして、すべて読んでいたようで勝手に自分が怪しいと感じた相手に対して、私に確認さえせずに、脅迫メールを送り付けていたようでした。息子が高校生になった時、「母さんには、感謝をしている。だから、もう我慢をしないで、離婚をしたらいいよ」と言ってくれました。でも、「私が産んだ子供ではないから、親権が取れなくて、一緒に暮らせなくなくなるよ」と伝えたら、「大丈夫や。俺が離婚調停で、母さんと暮らすと言うから」とまで、言ってくれました。でもこの時は、元旦那様が「もし離婚をしても、どこまでも、追いかけて探し出してやる!俺から逃れられると思うなよ!」と脅してきていたので、そのまま一緒に暮らしていました。それで、私がストレスから、脳梗塞で倒れて、左半身麻痺の身障者に、なりました。息子は19歳の大学生でした。冬で、私が、夜中にトイレで起き上がると自分で、布団がかぶれない事を知ると「俺は夜中でも、声をかけられたら、体質的にさっと起きられるから、時間を気にせずに何時でも声をかけてくれたらええねんで!」と申し出てくれました。それでも、深夜の2時や3時にはしんどくて、面倒な顔をするだろうなあと思っていましたけど、一度も面倒そうな顔をしないで、声をかけるとニコニコ笑顔で、布団をかけてくれていました。感謝でした。実の母でもないのに、申し訳ない気持ちになりました。私は、離婚をして、家を出た時、「○○のおかげで、振り返ると楽しかった思い出が、たくさんあります。ありがとう!」と息子に、メールを送りました。息子からは、いいね!の返信がありました。私が離婚をして、戸籍上は他人になりましたけど、彼女が変わると私に話したくなるようで、ちょこちょこ話をしに来ていましたけれど、ここ数年は、音信不通。心配をしていた所、遠い親戚の訃報と一緒に、親族調査の結果が実家母の元に届き、息子が結婚していた事がわかりました。私がまだ30代の頃勤めていた会社の上司が人事相談をスピリチュアルの先生にされていて、私も連れて行ってくれたことがありました。その先生は、私の顔を見るなり「あら、あなた前世のお子さんをお連れですね」と言いました。そして、私が、息子と初めて出会った時の事を話すと「そりゃあ、運命を感じますよ。前世のお子さんなんですから!」「この子は、強い星に生まれていますよ」とも語ってくれました。どんな女性と結婚をしたのかさえ、わかりませんけれど、きっと、笑顔で暮らしていると信じています。素晴らしい出会いに、感謝です。
その日から、アプロ―チをされていましたけど、私は、当時仕事が忙しくて、
食事のお誘いを断り続けていました。残業をしていると会社にまで、電話をしきていました。どうしてもと何度もしつこく誘ってくるので、1回くらいならと食事に行くことにしました。すると、
「結婚を前提に付き合ってください」と頭を下げて交際を申し込まれました。何となく、かかわらない方が良い気がしたので、すぐに、お断わりをしました。でも、よく話を聞いてみると離婚をして、子供を引き取り、一人で、育てていると言いますから、「じゃあ、その子供は、今、私と出会っているこの時間はどうしているの?」と質問。「託児所に預けてきた」と言います。それは、おかしい!と思ったので、一緒に、託児所に迎えに行く事にしました。3歳の男の子でした。手を繋いで歩いてみた瞬間、なぜかビビッと運命的なものを感じました。その頃、元旦那様は、出張続きで、ほとんど子供は、託児所に預けっぱなしになっていると聞いて、私が彼らの自宅へ行き、子供の世話をすることにしました。一人暮らしをしていた部屋には帰宅をせずに、会社帰りに、託児所へ迎えに行く日々が始まりました。仕事の書類を持ち帰りながらのお迎えでした。子供をおんぶしようとしても、普段おんぶの習慣がなかったようで、背中に収まってくれません。仕方なく、重たい書類のカバンをぶら下げた腕で、抱っこをして、電車で、1駅分の道を歩いて帰っていました。歌を歌いながら、時々、道に、ありを見つけては、立ち止まります。私が、歩くように!と促すと「ミミちゃんは、もう、アリさんとお話しをしなくなったの?」と言います。子供の心を持ち続けていたいと願う私の気持ちが揺るぎます。
早く帰宅をして、寝かしつけて仕事がしたくて、気持ちがあせります。なんとか自宅に到着をするとお風呂を沸かし、洗濯機を回しながらの食事作りです。3歳の子供に、どんな料理を作ればいいのかしら?初めて二人で過ごすことになった日には「食べたいものとかない?」と聞いてみましたら、元気よく「フライパン!」と答えました。なんのことかわらなかったですけど、冷蔵庫に玉子があったので、オムライスを作り、ケチャップで、顔を描いたら、キャッキャッと喜んで、ペロッと食べてくれました。後日、フライパン!は、ホットキーキの事だったとわかりました。食事後は、一緒に、お風呂です。湯船につかりながらのおままごとが始まります。子供がドリンクを作っては、私に、出してくれるので、飲む真似をしては、「ああ、おいしかった!」と私が言います。するとキャッキャッと喜んで、次々とドリンクを出してきます。眠りそうになりながらもそのおままごとは、永遠に繰り返されます。お片付けの歌を歌い、なんとかお風呂から上がり、歯磨きをさせてから布団へ移動。次は、絵本の読み聞かせです。落ち着いたころ合いで、歌を歌いながら、カラダをトントンして、寝かしつけます。寝息が聞こえてきたら、そーっと私だけ布団から抜け出して、キッチンにある食卓で、持ち帰った仕事にとりかかります。
でも、幼稚園の帳面が気になったり、翌日の持ち物を用意したり、洗濯物を干したりとなかなか仕事に集中できません。油断していると子供が起き上がって来てしまいます。疲れていましたけど、不思議と心地良い疲れでした。元旦那様は、出張に出かけると1か月ほど帰宅してきませんでした。そんなある朝、幼稚園に出かける準備をしていた子供が、突然、直立不動になり、大きな声で、「ミミちゃん、僕のお母さんになって!」と言ってくれました。まだ3歳の小さな子供が耳まで真っ赤にさせて、精一杯訴えてきた姿がいじらしくて、キュンとしました。大人の私が何とかしてあげなくてはと思い、母親になる決心をしました。でも、子供の母親になるためには、父親と結婚をしなくてはいけませんから、かなり悩みました。両親は反対をしてくれました。考えに考えた末、男性としては、受け入れられなくても、一緒に暮らしていく中で、子供の父親としてなら、受け入れられるようになると考えて入籍。身内だけの結婚式を挙げて、披露宴はしませんでした。実家の母が、大風呂敷を広げたら畳む時が大変でしょう?と言っていました。実家の両親には、元旦那様の事を×1と話していましたけど、実はすでに、×2でした。本人は、どちらも円満離婚だと話していましたけど、ちょっとしたことで、怒鳴り散らし、暴力を奮う人でしたから、どうだか。出会った時、子供のカラダにも、アザが沢山ありました。一緒に暮らすようになったある夜、元旦那様が、子供を怒鳴っているなと思って居ましたら、冬なのに、お風呂場へ連れて行きシャワーで水をかけ始めたので、私が、止めに入りました。元旦那様は「止めるな―!これ以上殴るとコイツを殺してしまうから、水をかけるんだ―!」と叫んでいました。私は異常だと思いました。ずっと後になってから、息子の発達障害のADHD(注意欠陥多動性障害))を疑って、治療法はないですが、発達障害と診断のできる医師の診察へ3人で、行った時、「息子さんは、違いますけど、ご主人は、明らかにそうですね。と言われましたから、暴力を奮っていた事やお金にルーズだった事は行為障害が出ていたのだと思いました。私も髪をつかまれて、廊下をひきずられた事がありました。怒鳴り散らして、「出て行け!」と言うので、そのままま出て行き、近くのビジネスホテルに宿泊をして、翌朝帰宅をしてみると仁王立ちをして、「どこに行ってたんだ?」と怒っていました。自分が追い出した記憶がないようでした。元旦那様は、私に複数の男性がいると思い込んでもいました。私の携帯に届くメールを業者に依頼して、自分の携帯に届くように設定もして、すべて読んでいたようで勝手に自分が怪しいと感じた相手に対して、私に確認さえせずに、脅迫メールを送り付けていたようでした。息子が高校生になった時、「母さんには、感謝をしている。だから、もう我慢をしないで、離婚をしたらいいよ」と言ってくれました。でも、「私が産んだ子供ではないから、親権が取れなくて、一緒に暮らせなくなくなるよ」と伝えたら、「大丈夫や。俺が離婚調停で、母さんと暮らすと言うから」とまで、言ってくれました。でもこの時は、元旦那様が「もし離婚をしても、どこまでも、追いかけて探し出してやる!俺から逃れられると思うなよ!」と脅してきていたので、そのまま一緒に暮らしていました。それで、私がストレスから、脳梗塞で倒れて、左半身麻痺の身障者に、なりました。息子は19歳の大学生でした。冬で、私が、夜中にトイレで起き上がると自分で、布団がかぶれない事を知ると「俺は夜中でも、声をかけられたら、体質的にさっと起きられるから、時間を気にせずに何時でも声をかけてくれたらええねんで!」と申し出てくれました。それでも、深夜の2時や3時にはしんどくて、面倒な顔をするだろうなあと思っていましたけど、一度も面倒そうな顔をしないで、声をかけるとニコニコ笑顔で、布団をかけてくれていました。感謝でした。実の母でもないのに、申し訳ない気持ちになりました。私は、離婚をして、家を出た時、「○○のおかげで、振り返ると楽しかった思い出が、たくさんあります。ありがとう!」と息子に、メールを送りました。息子からは、いいね!の返信がありました。私が離婚をして、戸籍上は他人になりましたけど、彼女が変わると私に話したくなるようで、ちょこちょこ話をしに来ていましたけれど、ここ数年は、音信不通。心配をしていた所、遠い親戚の訃報と一緒に、親族調査の結果が実家母の元に届き、息子が結婚していた事がわかりました。私がまだ30代の頃勤めていた会社の上司が人事相談をスピリチュアルの先生にされていて、私も連れて行ってくれたことがありました。その先生は、私の顔を見るなり「あら、あなた前世のお子さんをお連れですね」と言いました。そして、私が、息子と初めて出会った時の事を話すと「そりゃあ、運命を感じますよ。前世のお子さんなんですから!」「この子は、強い星に生まれていますよ」とも語ってくれました。どんな女性と結婚をしたのかさえ、わかりませんけれど、きっと、笑顔で暮らしていると信じています。素晴らしい出会いに、感謝です。