神妙卒業式
なるほどことばは言の葉である
意味をふくませた音声が
つぶやいたとたんひらひらとマウ
しかも創のままだと枯れて
虚空に呑まれて散ってしまうが
文字にすると玉に置き換わり
半永久に残り見も知らない
後世のひとのこころも打つ
ことができる
私はじつはツイッターが嫌いだ
ネットで気楽に垂れ流して
残って得るものがほとんどない
気がするので
ビジネスとしては多くの人の心を
捉え大成功しているようだが
個人的にはどうも好きになれない
だから詩吟も呟き的には使えない
詩はアートの一種という想いが
どこかに潜んでるからかもしれない
思いついたことを外に晒してみたい
そう思ったときだけ衝動的に
連投とかしてしまう
自分の産んだものへの支持の有無に
気を取られたり振り回されたり
するのは全然本意でないのだが
ヒトってどうしても鑑賞者の評価
から解かれて孤高独立的に暮らすの
はできないんものなのだなあ
ここ来て逆に自分の小ささ未熟さを
教えられることが多い
わたしは学生 きみたちは教官
そうおもって 低姿勢でいつまでも
教えを乞い続けたい
今生は次境のための学習 学園
そう 妄想しながら卒業式したいな